別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。
マルコ4:8
私たちの人生は人それぞれです。
しかし共通して言える事は、
殆どの人が、良い人生を歩みたいと願っていると思います。
自分の人生、悪を究めよう!!とは思う人はいないのではないでしょうか?
正しくありたい。優しい人間になりたい。いい人になりたいと思っていると思います。
多くの人が良い方向に高みを目指したい!と思っているのに、私たちの世の中はどうでしょうか。
ロシアとウクライナの戦争が起き、世界中が心を痛めているのに、
また戦争が起きているのです。
また、私たちの日常でも、毎日のように驚くようなニュースが流れてきます。
自分の身の周りでも、皆の願いとは反対方向に世の中が進んでいる様に感じます。
一人ひとりが心に持っている方向と、世界は違う方向に進んでいるように思います。
…私は22歳の時、教会に導かれました。
振り返ると、それまでの人生、私の心は砂漠のようでした。
心の上渇きが酷く、自分が今生きているのか、死んでいるのか、分からない… もしかしたら、もう死んでいるのではないか…と思っていました。
その様な中で主に出会い、御言葉や賛美、クリスチャンと交わり、渇いた心に自分に必要であったものが浸み込み、潤い始めました。
クリスチャンの多くはその様な経験をしていると思います。
カラカラに乾いた心に、主の生ける水が注がれ、渇きから解放される。
しかしクリスチャンになってもまた、渇きを見せる事もあります。
その度、御言葉による生ける水を求めて信仰生活を送っています。
渇いたカチコチの土地には、豊かな水が必要なのです。
このような話を聞いた事があります。
初代教会の人たちは、いばらで一杯になった固い地への対処法があったそうです。
見えているいばらを引き抜けば、いばらはもっと固い強固な根を張り、もっといばらが生えるそうです。
どうすれば良いのでしょうか。
初代教会の人たちは、いばらの地に「良い種」を沢山たくさん蒔くそうです。
そして良い種を育てるそうです。
良い種が育ってくれば、根も育ちます。沢山たくさん育てることにより、
良い根が悪い根を追いやり枯らすそうです。
…私たちの信仰と同じだと思いました。
主を知らない時、上渇き、それを満たすために悪い事、悪い考えで一杯になっていました。
主はそれを、1つずつ指摘し、これはいらない!と言って、引っこ抜くのではなく、
御言葉を与え、良いもので私たちの心を満たし、私たちのカチコチに乾ききった心を変えて行って下さいました。
私たちの心は、主の潤いが渇きを覆ったのです。
私たちクリスチャンは、自分の心に良い種を沢山蒔き、心が良い地となれば、
30倍、60倍、100倍の実を結ぶことが出来るのです!
自分の周りに、日本に、世界にも、良い種を蒔く必要があります…
心が乾ききり、自分の進む方向を見失っている人々…
主による生ける水が必要なのです。御言葉が必要なのです。
まずは、自分の置かれた周りから、種を蒔いていきたいです。
共に主の種をたくさん蒔き、育てましょう!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」