人生には大きな選択があります【詩篇34:18】

2023年

主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。

詩篇34:18

イスラエルに王制が導入されて初めての王が、サウルです。

サウル、ダビデ、ソロモンと王が続きました。

イスラエルの王さまで、一番注目され有名なのは、ダビデとソロモンだと思います。

ダビデとソロモン、2人は親子関係です。

ダビデもソロモンも、良き王でした。

しかし、ダビデは人生で大きな罪、姦淫と殺人を犯してしまいました。

ソロモンも晩年、偶像礼拝をしてしまったのです。

この2人にどの様な「差」があるのでしょうか。

2人とも大きな罪を犯してしまったのですが、人生の結末は違うように思います。

ダビデは、預言者サムエルから油の注ぎを受け、10数年後にヘブロンで王となりました。

更に7年半の月日が過ぎ、エルサレムで統一王国の王となったのです。

ダビデは、サウル王の嫉妬により命を狙われながらも、神の前で誠実な心と姿で過ごしたのです。

ダビデ王は、立派な王、主の器となるまでに長い月日を待ち、素晴らしい王となりました。

ダビデは戦いには必ず出陣し、先頭に立ち指揮をとっていたのです。

しかしある時、アンモン人との戦いの時、勝敗の行方は明らかで、出向くまでもないと考えたのか、軍の司令官ヨアブに委ね、

ダビデは指揮をとらずエルサレムに留まりました。

その間、何が起きたでしょうか?

バテ・シェバの沐浴を見てしまうのです。

バテ・シェバはダビデの子を妊娠し、それを知ったダビデ王は、バテ・シェバの夫、ウリヤを戦場の一番前に配置するように指示し、殺したのです。

姦淫と殺人という罪を犯してしまったのです。

結局は、この時妊娠したバテ・シェバの子は死んでしまいました。

ソロモンはどうでしょうか。

ソロモンは、ダビデが姦淫を犯したバテ・シェバから生まれた2人目の子どもです。

ソロモンは、自分の欲を満たす事なく、富や長寿を求めず、「知恵の心と判断する心」を求め、主に喜ばれた王でした。

ソロモンはイエスラエル全土の王になってから、ユーフラテス川からエジプトに至る全ての国を支配しました。

ソロモンが支配した国はどこに行っても平和であり、イスラエル繁栄の時代だったのです。

ソロモンはダビデが建てる事を許されなかった神殿を建てる事ができました。

ソロモンは世界のどの王よりも、知恵も富にも恵まれた王となったのです。

しかし晩年、700人もの妻と300人の側室がいたソロモンは、妻たちの信じる異国の神を許し、

共に異国の神を拝み始めたのです。

偶像礼拝と言う罪を犯してしまったのです。

ダビデの姦淫と殺人。

ソロモンの偶像礼拝。

どちらも大きな罪であり、どちらの罪が大きいか等とは、私たちが判断することは出来ないのですが、

結果的には、ダビデは生涯、主に愛され続けました。

しかしソロモンは、主に突き放されてしまったのです。

この差は何でしょうか。

ダビデは、罪を犯してすぐ、預言者ナタンに詰め寄られました。

そしてすぐに「私は主に対して罪を犯した(Ⅱサムエル12:13)」と悔い改めたのです。

結果的には、バテ・シェバとの1人目の子どもは死んでしまいましたが、

ダビデは主に許され、ダビデの地位は守られたのです。

ソロモンは…

多くの妻や側室の異国の神を拝むことを許し、

主から2度、忠告を受けながらも、それに耳を傾けず、

ソロモン自身も異国の神を拝むという偶像礼拝を行ったのです。

主からの忠告を無視したのです。(Ⅱ列王記11章9-10)

悔い改めなかったのです。

罪に突き進んでしまったのです。

その結果、ソロモンは死に、王国は奪われ、

ソロモンによってイスラエルの国に分裂を引き起こしたのです。

悔い改めが人生の道を大きく変え、自分の最後だけでなく後世にも影響が起こるのです。

…もし、ソロモンが主の言葉を無視せず、悔い改めていたら…

イスラエルの分裂はなかったかもしれません…

罪を犯さないのが一番ですが、

もしも犯してしまった時、失敗してしまった時、

また、自分の行った言動が罪だと気付いた時…

立ち止まり、素直に主に心からの悔い改めです!!

罪を犯してしまって「後悔」するだけでは、あまり…意味がありません。

「後悔」は、自分の過ちを悔むものであり、自己嫌悪を感じるもの。

後悔は、自分の過ちの中に留まる行為なのです。

後悔だけでは、罪の赦しは受けれてはいないのです。

「悔い改め」とは、自分の過ちを主に告白することです。

自分の不甲斐なさに留まるのではなく、もう一度主の愛を思い出す事まで含まれます。

もう一度、主に立ち返る事を意味します。

「悔い改め」は、主から罪の癒しを得る事ができるのです。

イスカリオテユダは、イエスさまをお金で売り「後悔」し、自死を選び人生を終えました。

ペテロも、主を3度知らないと言ってしまい、激しく「後悔」し、復活のイエスさまに会い「悔い改め」たのです。

ペテロは、悔い改め、今まで自分に注がれた主の愛を思い出したのです。

ユダもペテロもイエスさまを裏切った人物です。

しかし、「後悔」したユダと、「悔い改めた」ペテロの人生の結末には大きな差があるのです。

今日も、主に立ち止まり、自分が選ぶ道は合っているのか…

主を思い出し、主と共に歩む1日となりますように!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

タイトルとURLをコピーしました