私たちの方法と主の方法【箴言10:12】

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憎しみは争いを引き起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。

箴言10:12

昨日、初代教会の人たちのいばらで一杯になった固い地への対処法を書きました。

朝から書き始め昼すぎにブログをUPした後、ずっといばらの地について考えていました。

改めて、私たちの主ってスゴイな~という思いと、

本当に、私たちの常識(方法)と主の方法は違う…という事を感じました。

初代教会の人たちは、いばらで一杯になった固くなった地を

地の上に見えているいばらを引き抜けば、いばらはもっと固い強固な根を張り、もっと強固ないばらが生えてくると知っていたそうです。

だから、初代教会の人たちは、いばらの地に「良い種」を沢山たくさん蒔き、良い種を育てます。

良い種が沢山育ってくれば、根も沢山育ち、

良い根が悪い根を追いやり、悪い根を枯らすそうです。

…私たちの常識では地を固くしている原因であるいばらを排除しようとします。

地の上にあるいばらだけでなく、できるだけ根まで引っ張りたい所です。

しかし、単なる雑草ではなく、いばら…

根まで取り除くのは難しい。

何か、大きく困難な問題が生じた時、または目の前に現れた時、私たちはそれを排除しようとします。

どうすれば、その厄介な問題から回避する事が出来るか。

どうすれば、困難な頭が痛い問題を解決する事が出来るか。

私たちは、自分に負となるものを排除しようとし、一刻も早く、自分の近くから負を遠ざけようとします。

クラスに問題児がいれば、その問題児に集中し、その子を回心させよう。その子に自分の言動の状況を理解させようと働きます。

時には、力ずくで間違いを犯した人を押さえつけます。

これは、私たちにとっては自然で正しい手段なのです。

私たちが住んでいる世界では、このような方法が普通のやり方、対処の仕方なのです。

私たちにとっては間違った変な方法ではないのです。

しかし、私たちの方法は私たちが作り上げたルールです。

多くの人が「良し」とした方法が基準とされ、一般的な方法として用いられているのです。

私たちが作り上げたルール… この「私たち」の中に、主は入って居られません💦

「主」抜きで作った善悪なのです。

私たちは、「主」抜きの善悪を基準とし、善悪を判断してしまっている事が多いと思います。

この「いばら」の話や、聖書に出てくる「毒麦」の話を通して、

まず、主は、目に見えている悪を処理しません。

毒麦の話では、成長してから、良い麦と毒麦を区別されました。

いばらから学ぶのは、悪いものを排除するのではなく、良いもので覆う。良いもので覆いかぶさり、現状を変えていくのです。

イエスさまの十字架を思い出して下さい。

人々の罪を見られ、主は目に余る極悪人を排除する為に、この世に来られたのではなかった。

良い人も悪い人も、誰かを排除する為に来られたのではなく、

全ての人の罪を覆う為に来られたのです。

私たちの罪を問いただし、詰め寄り、悔い改めを要求するために、裁く為に来られたのではなく、

主という「良いもの」で、私たちの「悪いものである罪」を覆う為に来られたのです。

これが主の方法(ルール)なんだと思います。

私たちの常識と、主の方法は違うのです。

私たちが「良い方法」だと思ってしている事が、主の目には「良いものではない」可能性があるという事です。

主の似姿に成長する為に… 主の方法を基準としたい…

自分に起こる負、自分を傷つけるもの、自分に害を与えるもの、

これらを排除する事より、主の愛で覆うクリスチャンになりたいです…

主の基準が私の基準となりますように…

もっともっと、主を知っていく事ができますように…

今日も、主と共に時間を過ごし平安な一日をお過ごしください!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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