「信仰が成長する」とは【Ⅱテサロニケ1:3】

2023年

兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。

Ⅱテサロニケ1:3

信仰を持って何年経ちましたか?

信仰は成長しているでしょうか?

子どもが日々成長するように、私たちも神の子として日々成長するべきなのです。

自分の信仰生活を振り返ってみてどうでしょうか。

「信仰が成長したな~」と感じますか?

そもそも、何をもって「成長した」と言えるのでしょうか。

今日の御言葉です。

パウロがテサロニケの教会に書いた手紙です。

テサロニケの人たちは、ローマ帝国の支配下にあり迫害を受けていました。

カエサル以外の者を拝する事を禁じられており、それを避けて通るには貧困という道を選択する事になるのです。

主を信仰しても置かれた状況は改善するどころか悪化するなかに身を置いていたのです。

しかし、彼らの信仰は下火になるどころか、成長していっていたのです。

成長とはどういうことでしょうか。

まず思い出すのはアブラハムです。

アブラハムは、主に子どもが与えられると約束を貰いながらも、自分や妻の年老いた年齢を考慮し、女奴隷ハガルからイシュマエルと言う息子を得ました。

主を信頼しきれていなかったのです。

しかしイサクが与えられ、主の素晴らしさ、約束を成就されるという経験を通して、主への信頼心が強められ、

独り子のイサクを捧げなさい。と言われた時、主を信頼し聞き従ったのです。

見事な信仰の成長だと言えると思います。

このように、主への信頼度が増すこと。

主は必ずどんな時でも助けて下さると信じる事ができる事。

これらも「成長」だと言えると思います。

しかし私が思う一番大切な信仰の成長とは、「愛すること」だと思います。

私たちは神さまに似せて創造されました。

私たちの神さまは愛の神さまです。

イエスさまの記録を見ても愛に溢れた神さまなのです。

今日の御言葉にも、パウロはテサロニケへの手紙に「あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっている」と書かれています。

自分に愛が増し加わる事も、主の似姿へと「成長」して行っているのです。

「愛」とは何でしょうか。

広辞苑では「親、兄弟の慈しみ合う心、広く人間や生物への思いやり、男女間の相手を慕う情、かわいがること、大切にすること。」

別の辞書では「対象をかけがえのないものと認め、それに魅きつけられる心の動き、また、その気持ちの現われ。」

私たちが知っている「愛」とは、対象に対する「自分の感情」です。

自分の心がどう思うか。どう動くか。どう感じるか。によるものなのです。

しかし聖書の「愛」とは、対象に対する「自分の意志」です。

愛する!という意志。決断です。

これは意味に大きな違いがあります。

この世的には、自分が愛を感じるものを愛する対象とする。のであり、

聖書的には、自分の感情や対象がどうであれ「愛する」と決断する事を意味するのです。

パウロの手紙によると、

互いに対する愛ではなく、一人一人の互いに対する愛です。

大勢の人に向けて「みんな好き!」ではなく、一人一人に寄り添った愛。

人それぞれ、考え方や受け止め方、癖なども違います。

自分と合いにくい人も居るはずです。

相手は自分を迫害する敵かもしれません。

自分の感じる感情によるのではなく「この人を愛します」という決断。

これだけが必要なのです。

私たちが決断する事により、感情は主が与えて下さるからです。

私たちは、信仰が成長しているでしょうか。

「愛する」という決断を持って人と接する事ができているでしょうか。

気が合う人とだけ付き合うのは、クリスチャンでなくても誰もがする行為です。

クリスチャンは、主がどんな人でさえ、私でさえ、愛して下さったのです。

無条件に。あなたの性格のこの部分を治したら愛してあげるという条件もなしに…

今ある不十分な姿を受け入れて下さっているのです。

私たちは、この主の愛の似姿に成長していくべきなのです。

聖書を読み、聖書が書かれた背景を知り、御言葉の本当の意味を知っていく。

聖書の知識を増やす事も成長です。

主に聞き従い、日々主を選択していく。というのも成長です。

しかし、一番に成長させるべき部分。

主が望まれているのは、「愛する」という決断を出来る心ではないでしょうか。

自分の感情とは別に「この人を愛することが出来ますように」と祈る心。

自分には愛がないと知る者が出来る祈りだからです。

自分には「愛する」という事さえ出来ない存在である。と主にへりくだり助けを求める心があるからです。

私たちの神は、愛の神さまです。

この神さまの似姿に変えられていくよう、成長する必要があるのです。

聖書を読み、祈り、まず自分の中に主の愛を沢山吸収し、

主の愛で愛するという事を決断する人になりたいです…

今日も、主と共に歩み、主に愛され、その愛を流す一日となりますように!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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