クリスチャンは月のように存在するべきです【Ⅱテサロニケ3:16】

2022年

どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。

Ⅱテサロニケ3:16

人間はどうして不安になるのでしょうか?

不安の根源に「死」があるからです。

私たちが不安に思う根源の殆どは「死」に繋がっているのです。

病気になったらどうしよう・・ ➡ 死んだらどうしよう

大学受験落ちたらどうしよう ➡ 良い就職先を得れなくなるかも ➡ これからの人生の不安(食べていけなくなったらどうしよう)

会社をクビになったらどうしよう ➡ 生活できなくなる ➡ 生命の危険性を感じる

主は、聖書を通して「平安を与える」「平安があなた方にあるように」と何度も言われています。

主が与えられる平安とは何でしょうか?

私たちが感じる不安と反対のものです。 不安の根源に「死」があるので、「死」に対する問題を主を信じる事によって解決して頂けるのです。

「死」に対する不安感から解放されるのです。

主は私たちが感じる不安の根本から解決される方なのです。

しかし、私たちは、もっと手っ取り早く、目に見える平安を世の中から探そうとします。

私たちが「平安」として手に入れようとする物は、「富や力」です。

富と力があれば、自分の人生の殆どの不安を解消できると思ってしまっているのです。

一旦、お金があれば、病気にかかっても最高の治療を受ける事ができるし、食べるのに困らない。欲しいものを手に入れれる。人が羨む生活をすることが出来るのです。

ですから、「富」から平安を得ようとします。

しかし、「富」があっても「死」は必ずやって来るのです。富があっても、罪と死は解決できないのです。

また手に入れた富は永遠ではないのです。価値も変わり、使えば無くなる存在なのです。

永遠に変わらない平安はこの世から得る事は出来ないのです。

主が与える「平安」は、私たちの理解を超えたものです。

決して無くなったり、価値が変わったり、色褪せたりするものではないのです。

主が下さる平安は、受取さえすればいいのです。

私たちは、主を自分の救い主だと告白し、神の子とされました。

罪と死の解決、朽ちない天の宝、神の子とされ御国の相続者とされた特権、愛に満ちた全知全能の主の守りと最善の内に入れられたのです。

私たちの不安の根源は、全て解決されたのです。これほど素晴らしい平安は無いのです。

主を理解しようと、頑張って精神的なエネルギーを費やしてしまってはいけないのです。

自分のエネルギーを主を理解する事に投じてしまうと、平安と言う素晴らしい贈り物を貰い損ねてしまうからです。

これほど素晴らしい平安を得れた私たちがする事はなにでしょうか?

私たちが、主の平安で満たされ、その姿を世に見せるのです。

主は私たちに平安と言う光を、いっぱい降り注いでくださいました。

私たちは、月のように主から頂いた光を、世に反射させるのです。

月は、太陽の光を受け、輝いています。自分の力で輝いていません。

私たちクリスチャンも、月の様であるべきです。

主からの光を受け、美しく輝く、その光を世に反射させるのです。

今日は、自分が月のようになれているのか、考えてみたいと思います。

今日も、主の平安が豊かにありますように・・・

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