神様が与えてくれる最善の道って・・【箴言20:24】

2022年

 人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。

箴言20:24

 

昨日、ふと思ったことがあります。

長男が中学生の時、背が高くなりたいと思い、バスケ部に入りました。3年間、毎日クタクタになるまでバスケに励みました。

また教会に卓球台がありました。長男は中学高校時代、教会へ行く度に、友達と卓球を楽しんでいました。

もともとスポーツ万能なタイプではないのですが、バスケと卓球はある程度することが出来るようになりました。

 

今、長男(大学2年)は一つのコミュニティに属しています。そこは上下関係が厳しくて、親としては、長男がそこで馴染めるか、良い人間関係を持つことが出来るのか気がかりでした。

昨日、長男から電話があり「どう? 人間関係大丈夫?」と聞いたら、

「うん!大丈夫。ここは、暇な時に先輩たちとバスケしたり卓球も出来るんだよ」と言いました。続けて「卓球とバスケがコミュニケーションをとるきっかけとなって、上司たちにも声を掛けられ練習相手として呼ばれる事が多い。おかげで上司にも先輩にも凄く可愛がって貰えてるし、同期とも仲良くできてる!」と言いました。

それを聞いて「バスケも卓球もしてて良かった~!!」と長男に言いました。

それと同時に、ある事が私の頭をよぎりました。

長男は中学高校の時に、将来の事を考えてバスケや卓球をしてた訳ではなかった・・・ただ、バスケと卓球が出来る環境だったので、長男は二つとも一生懸命取り組んだ。でも数年後、それが凄く役に立っている・・・という事は・・・?

 

丁度この時、長男は「何か新しい勉強を始めたい(大学とは別に)」と祈っていました。「語学かな・・? コミュニティに、スペイン語が出来る人がいるので、思い切ってスペイン語勉強してみようかな。でもスペイン語って将来使うかな?」「コミュニティに中国語が出来る人がいてるので、中国語を勉強しようかな。スペイン語より中国語の方が役にたつかも・・・」とか、それとも語学ではなく、もっと違うものを勉強する方がいいか・・・と最近は「これはどうだろう」「あっちの方がもし宣教師になったら役にたつかも・・」と色々と悩んでいました。祈っても、特にはっきりと「コレ!!」という答えを貰えてませんでした。

 

私が長男に「あ・・・何を勉強したらいいか分かった!」と言いました。

長男は、ずっと祈りの答えがはっきりせず、気を揉んでいたので「何?何?」と・・・

「バスケも卓球も、将来を考えて頑張って習得したものじゃなかったでしょ? 単にそれに取り組める環境だったから、つまり出会ったから一生懸命取り組んだんでしょ。でも数年後、すごくその二つが役に立って、自分を助けるものとして用いられてる。・・・だから、祈ってはっきり答えがもらえない時は、自分の好きなのを選んだらいいのよ!! 自分が好きなの、出会ったものを一生懸命すれば、神様がそれを用いて下さると思う!」

「スペイン語を選んだら、スペイン語を用いた道を準備されるし、中国語を選んだら、中国語が必要な道を与えて下さる。神様が自分に最善の道を準備して下さってるけど、その最善の道ってどれだろう??って必死になって、自分から色んな可能性を考えて、”これかな?” ”こっちかな”って主の御心を当てようとしてるけど・・・でもそれは全く間違えた思考。神様が与えてくれる最善の道って1つじゃなくて、ビックリするぐらい一杯あるのかも!! 自分が沢山準備すれば、準備したものが用いられるんじゃないかな。だから、十分祈ってはっきりとした答えが分からない時は、自分の好きな物を選んでいいと思う! これがどう用いられるんだろうって期待しながら、ワクワクしながら一生懸命準備すればいいのよ!」

 

人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。(箴言20:24)

自分の頭で神様の道を見極める事なんて、出来ないですよね!

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