あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
詩篇119:105
いつからだろう…
なかなかブログを書けずにいます。
忙しいという事もあり、
子どもの学校のいざこざで、
心が疲れてしまったと言うのもあります。
忙しさや、次々に押し寄せてくる、
沢山の日常のしなくてはならない事。
そして次男は卒業したにも関わらず
まだ続いているPTA問題。
それによる傷付いた過去の回想。
毎日、慌ただしく過ぎ去り、
ゆっくり主を考える心の余裕ががない…
そんな時は、
まず深呼吸…深く…長く…。
そして、ゆっくり主に語りかけます。
「主よ、私はまた、
長い先の見えないトンネルに入ってしまいました…」
「ここから出たいです…」
そして、ふと思い出したのが。
昔読んだ本。
『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学』
私のこのような状態を
「トンネリング(視野の狭窄)」と言うそうです。
目先の「問題」や「足りないこと」に意識が強く奪われてしまい、
それ以外の重要なこと…
長期的な視点や計画、全体像などが
視野から消えてしまう現象。
そして、
目の前の問題に対処するために、
短期的な解決策に頼り、
結果的にさらに状況を悪化させてしまう…。
「トンネリング」とは、トンネルから来ているそうです。
周りが見えなくなり、
遮断されたような状態。
今の私は、
トンネルの中を歩んでいる…と思います。
以前、毎日ブログを書いていた時は
「わ!これ書いて記録しておきたい!」と
一日に何度も感じる瞬間がありました。
「今日は…書くことがないな…」という日は
殆どなかったのです。
しかし今…
特に日常生活を送る中で、その様な視点というか
気付きがないのです。
先日、仕事に行く道中、カルガモの親子を見かけました。
その時「うゎ~!まさに、モーセとイスラエルの民‼」って
思ったのです。
そして、今朝、
疲れた心で「主よ、トンネルからでたい…」と思いつつ
聖書を読もうと準備をしていました。
先日の「カルガモの親子」のように
何か、パッと目に入ってくれたら…
もっと主を感じやすいのになぁ~(笑)と
そんな事を思いながら…
そして今朝、聖書を読んでハッとしたのです💦
「いばらの中に落ちた種」の話。
あ…
私の心、
私の霊は固くなってるんだ…
色んなことに心を奪われ、
自分からトンネルに入ってる…。
トンネルに入ったら、なかなか抜け出せないだけでなく
主との距離も遠くなってしまったように感じる。
本当は、
そうなる前に、
その道を避けなければならないのに…。
そのためには、
どんな日常の中にいても、
まず主との時間を持つべきなのだと、
そう思いました。
でも…ふと、このようにも思いました。
「主との時間を持たなければ…」と
どこか「〇〇しないと!」というような
「義務」のように思ってしまう私の思考。
いやいや…
私が仮にトンネルの中に入ったとしても
主が共に居て下さっている事実は
何も変わりがないはず。
ただ、私は、
暗く出口が見えない場所に立たされているから
主と離れてしまっているように思っているだけかもしれない…。
主は私に
「頑張ってここまで来なさい」と
トンネルの出口で、私が出てくるのを
待っておられるのではなく、
暗いトンネルの中を、
共に歩いてくださるはず…!
そう思った時、
少しだけ肩の力が抜けました。
私は、
「主を見失っていた」というより、
「自分の力で何とかしよう」として、
視野が狭くなっていたのだと思います。
カルガモのヒナは、
先頭の親鳥を見失わないようについて行っていました。
周りの景色がどうであっても、
直ぐ横を車がビュンビュン通り過ぎてても。
大きな人間たちに囲まれても。
不安があっても、
ただ親の後ろを歩いていく。
私もそうありたい…‼
先の景色が見えなくても、
これから先の出来事に不安があっても…。
「主が前を歩いておられる」
「私は主について行く」
それを信じて、一歩ずつ進むこと。
トンネルの中にいる時ほど、
遠くの光を探そうとして焦ってしまうけれど、
まずは、
今日という一日の中で、
主を見失わないこと。
それだけで
いいのかもしれない…。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)
