わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネ16:33
人生は悩むものだと思っていませんか?
悩むからこそ、人間は成長すると・・・
悩むことで、人間性が豊かになり、幅のある大人へと成長できると・・・
これって合ってますか?
確かに、私も、今までの人生で凄く悩みました。主を知らなかった時までの私は、人より悩みが多い方だと思います。
悩みの量や深さに差があったとしても、全ての人が「悩む」という事を経験したと思います。
多くの人は、悩みなんて、ない方が良いと思っています。
悩むとは、辛く苦しい時間を過ごさないといけないからです。
できたら悩まず人生を歩みたいと思いながらも、悩みは人生から避けられないものだと受け止めている人も多いです。
悩むとは「考える」という行為ですから、考えない人生より、考える人生の方が良いと思います。
しかし、「悩む」とは「不信仰」の一種だという自覚を持つ必要があります。
「悩む」とは考えに迷いがあるのです。「どうしたら良いんだろう」「どう対処したら良いのだろう」「どうして・・・」
私たちの人生を支配してるのは誰ですか?
「自分の人生の支配者は自分である」と言うならば、色々と悩むのは当然だと思います。
しかし、私たちのクリスチャンの人生は、主に自分人生を寄り頼み生きて行く存在です。
主の守りの中、人生を歩むと決めた者たちです。
「自分の人生の支配者は主だ」と答えるのであれば、悩むという行為は、不必要であり逆効果です。
何か、不安や迷いを感じたら、その状況を主に明け渡すべきだからです。
不安から早く解放されたくて、自分で何とか解決しようと悩むのは、主を忘れている状態です。
私たちが住む世界、人生には苦難があります。 どのような人でも。
自分の人生に何が起こったとしても、既に主は世に勝たれたのです。
既に世に勝たれた主が、私たちの支配者なのです。
ですから、私たちは、主を一瞬でも見失わないように気を付けるべきです。
今日も、主に依り頼み、主を見失わない一日にしましょう!