迷路のような思考【Ⅱテサロニケ3:16】

2022年

どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。

Ⅱテサロニケ3:16

 

目の前の出来事。

将来の計画。

決断が迫られている時。

自分で自由に選択できる時。

これからの進路を考える時。

人生について考える時・・・

私たちは、このような物事に対処しようと、また自分の置かれた現状を理解しようと、これからの道を切り開こうと、精神的に凄くエネルギーを使っています。

それが、心がウキウキするような想像であるにしろ、心が重く暗くなる思考であるにしろ・・かなりのエネルギーを使い、前に進まない、堂々巡りな思考を繰り返しているのです。

このような状態は、心も頭も自分の思考で一杯になっています。またエネルギーを使うことによって疲労も生じます。

心も頭も自分の想像と思考で一杯です。他の何も入る隙間がない状態です。

自分の思考と想像力・発想力に頼り、ゴールがない、もしくはゴールが正しいのかどうか分からない堂々巡りの思考を繰り返しているのです。

 

私は高校生の時に、「西日本最大級の迷路」に行った事があります。3時間ぐらい迷路の中で迷いました。初めは友達と誰が早くゴールできるか競争して楽しんでいましたが、途中、どちらの方向からスタートして、どちらの方向がゴールなのか、ここは前も通った道なのか、分からなくなりました。やる気もなくなり、疲れ果て、果たして外に出れるのか? という疑問しかありません。 誰かが「こっちの方向だ!」と教えてくれる人は一人も居ません。すれ違う人皆が迷っているのです。途中で棄権することも出来ず、ゴールするしか方法がないのです。歩き疲れ、心も疲れ、やっとの思いでゴールしたことがありました。この時は、「もう二度とこんな遊びはしない・・」と思いました。

迷路で心身ともに疲れ、がむしゃらに最後まで進むしか方法がないと感じた思い。これとよく似た思いを成人になってから何度もしました。

目の前に問題が生じるごとに、答えの分からない堂々巡りの思考が始まるのです。でも何とか自分にとって一番良い方法で解決をしたいので、苦しくても思考を止める事が出来ず、気が付けば、一日の殆ど、何日も同じことを考えているのです。これはかなりつらい状態です。

 

どうしたら、この迷路のような思考から解放されるのでしょうか?

迷路のような思考に陥ってしまう原因は何でしょうか?

原因は、心と頭に余裕がないからです。自分の思考で埋め尽くされた心と頭の中には、主が入る隙間がないからです。

主は、隙間がない所に無理やり入られる方ではないです。

心と頭を空っぽにして、主の前に祈り「主よ。助けて下さい。」と祈る者にしか入ってこられません。

主の平安が、自分を心と頭に浸透できるように。

主の恵みは、私たちの想像を超えたものです。

空っぽにしないと、入らないのです。

ギュッと握ってしまっている手を、無理やり開かせる事が出来ないのと同じ・・

主が自由に入ってもらえるように。

今日も、心を開いて、主にいつでも入ってきてもらえる一日にしましょう!

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