自分の領域を超えない【ルカ6:37】

2022年

さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。

ルカ6:37

 

人を批判するのをやめよう。

人を責めるのもやめよう。

 

人を裁き、批判し、罪に定めることができるのは主だけである。

私たちは自分の領域を超えた判断をしてはいけない。

 

自分を否定するのもやめよう。

勝手に自ら自己嫌悪に陥ることもいけない。

他人だけでなく自分を罪に定めるのをやめよう。

これも私たちが行ってよい領域ではない。

 

小さい我が子が失敗してしまい、親に許されたにも拘わらず、

ずっと自己嫌悪から抜け出さなかったらどうだろう・・・

 

人間が人を裁くのも、自分自身を裁くのも、両方とも主は嫌悪を覚えられる行為である。

人を責める行為は、実は自分自身も霊的に苦しむ行為である。

人を許してこそ、自分の霊も解放される。

 

「絶対に許せない!!」 と思うこともあるだろう。

傷つけられた私は、長年その傷の痛みに苦しみながら生きているのに、

傷つけた人は傷つけた記憶もなく、平和な日常を暮らしている。

私は神様に沢山文句を言ったことがあります。

本当に沢山泣いて沢山の文句を言いました。

「主はすべてをご存じのはず。私の痛みもご存じのはず・・・なのに・・!!」

傷ついて15年の月日が経ち答えを貰いました。

 

「あなたはこの15年間、非常に苦しんで、もがいて生きてきたことを私は知っている。

でもね。あなたが苦しんだのと同じ期間、同じ苦しさを相手の方の霊も苦しんだんだよ。

あなたが赦すことにより、あなたは苦しさから解放され、相手の方の霊も解放される。

握りしめたその手を私の為に開いて欲しい・・ これ以上苦しむ姿を見るのが辛い。

あなたも相手の方も私の愛する子どもだ。」

 

怒りの祈りを、泣きながら主にぶつけている時に、この言葉が心に瞬時に入ってきて

私の体を隅から隅までこの言葉が駆け巡った。

私は怒りの祈りより、もっと遥かに大きな声で泣いた。

 

苦しめば苦しむほど、赦すことはたやすい事ではない。

でも本当に、赦すことだけが解放を得る方法であり、

赦すことにより自由を得、癒しを得る方法であり、それは勝利である。

みなさんが、人を許し、解放され自由になられることを心よりお祈りします。

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