問題がある時こそ感謝の祈りを捧げよう【イザヤ43:19】

2022年

見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。

イザヤ43:19

 

今朝、聖書を読んで、新年に嬉しい御言葉に出会った!

今年は去年より、もっともっと自分を主に委ねようと思う。

 

人間には意識できる部分と、気が付かず意識できない部分がある。

自分の心をすべてをOPENにして、主に委ねているつもりでも

実はまだ無意識の部分が残ってしまっている。

だから、「主よ私の心の扉を全て開くことができますように・・・

私が気付かずにいる扉があるのであれば、教えて下さい。」と祈ろう。

心の扉を開けば開くほど、私たちは自由になり平安と内なる喜びが溢れ出る。

 

もし問題を抱えているならば、まず感謝の祈りから始めよう。

感謝できる部分を探そう。

感謝することは山ほどある。

今日も目覚めれたこと。命が与えられたこと。

今日も、いつでも、スマホでも聖書を読める環境である事。

今日も祈れる主がいて下さること。私には聖書を読める目があり、賛美できる口がある。

今日も変わらず寒さをしのげる居場所(家)を与えられている事。

季節に応じて服を選んで身につけれること。履く靴があることは幸せな事。

今日も綺麗な水を飲むことができる。衛生的な環境で生活できること。

自分の指が全て問題なく動くことも本当に感謝。

一人で問題なく歩ける。そしていつでも教会へ行ける事に感謝。

今日も必要な食べ物が与えられている。

家族がいてること、友達がいてることに凄く感謝。

子どもが学校へ通えることも本当に感謝。

感謝するべき事は沢山ありすぎる・・・

でも私たちの祈りはどうだろう。

私たちの口からでる祈りは、感謝の祈りより、

「主よ。助けて下さい。満たしてください。」の方が多くないだろうか?

 

小さな子どもに例えて想像してみよう。

子どもは泣きじゃくり、これがどうしても欲しいと訴える。親は与える。

貰うとすぐに今度はあれが欲しいとせがむ。親は与える。

手に入れるとまた直ぐに違うものを、これは本当に必要だとせがむ。

親はどう思うだろうか・・・ 与えられても感謝をしない子供に、ため息はでないだろうか。

 

主に与えられたものは、直ぐに自分の懐に入れ、自分の中で完結し、

何事もなかったかのように、またすぐに、これこそ本当に必要だと訴えていないだろうか?

自分の懐はどうだろう?

主に頂いたもので溢れていないだろうか?

頂いたものは直ぐに忘れ、

「これは本当に必要」「本当に助けて欲しい」「本当に満たして欲しい」

「本当に苦しい。解決して欲しい」と祈っていないだろうか?

しかも理由をつけて自分の欲求を正当化していないだろうか。

「だって・・・これが成功しなかったら、私はどうなりますか?」

「この為に、私が今まで努力してきたのをあなたはご存じでしょう?」

「もうそろそろ、祈りがきかれる頃ですよね?」

 

問題がある時こそ、感謝の祈りをしよう。

自分の姿を幼な子に置き換えて、今の自分が主に喜ばれている姿かどうか想像してみよう。

主に与えられた私の口から、要求の祈りではなく感謝の祈りが沢山できますように。

主は常に、私に「新しいことをしようと準備して下さっている」という事を忘れませんように・・・

 

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