全てがうまくいかない時【創世記42:36】

2022年

父ヤコブは彼らに言った。「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そして今、ベニヤミンをも取ろうとしている。こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ。」

創世記42:36

何もかも上手く行かない時、ないですか?

主は私たちを祝福してくれるはずなのに・・・何もかも上手く行かず、道が閉ざされたように感じ、前にも後ろにも進めない状態・・

心もゆとりはなくなり、心が貧しくなり、「主は本当に私と共に居てくれるのだろうか・・・」と言う思いが頭を過ぎります。

こんな時って、誰にでもあると思います!

 

今日の聖書の箇所は、ヨセフの話です。ヨセフはエジプトの宰相に任命され、エジプト全土の支配を任されました。飢きんが続き、ヨセフの父、ヤコブが住んでいるカナンの地にも食べ物がなくなりました。ヤコブはエジプトに行って食べ物を分けてもらうようにと、末っ子のベニヤミンだけを残し、他の子どもたちを送りました。

ヨセフは直ぐに兄たちだと分かり、弟ベニヤミンを連れてきたら食べ物を分け与えると話します。そして、それを父親に伝えました。その時のヤコブのセリフが、今日の御言葉です。

自分には良くない事ばかりが降りかかり、みなが私を苦しめている・・と。

確かに、ヤコブにとっては、凄く可愛がっていたヨセフが死に、シメオンもエジプトで監禁されています。そして今度は、ベニヤミンを失おうとしているのです。

親にとって、子どもを亡くすというこれ以上ない苦しみが、またヤコブの身にやって来ようとしているのです。しかし、ベニヤミンを送らないと、シメオンをなくすことになり、また家族は飢え死んでしまうのです。ヤコブにとっては、胸が張り裂けそうな状況に立たされたのです。

しかし、この話の続きを知ってる私たちから見たら、ヤコブの状態はどうでしょうか?

悲しみに打ちひしがれているヤコブは、この後、死んでいたと思っていた愛するヨセフと再会でいるのです。しかも、何とか生き延びた状態の、みすぼらしい姿の息子ではなく、立派な姿に成長した息子に会えるのです。しかも、ヨセフによって、ヤコブの家族は豊かに過ごすことが出来るようになるのです。

ヤコブも私たちも、「今」しか見えないのです。今、「目の前にある状況」しか見る事ができません。

「今」しか見れない私たちにとって、ヤコブのように、嘆いてしまう状況の結末が、どうなるかなんて、私たちには分からないのです。

45章5節を見るとヨセフは、兄たちに「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」と言っています。

聖書には「何事にも時がある(伝道者の書3:1)」と書いてあります。

また、「私はあなたがたのために立てている計画をよく知っている。それは災いではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与える(エレミヤ29:11)」とも書いてあります。

嬉しい時もあれば、悲しい時もあり、苦しい時もあるのです。

しかし、全ては主の計画の中にあり、希望に繋がるのです。

人生には、単なるプラス思考で乗り越えられない問題は沢山あります。

私たち、クリスチャンであっても、

「主は本当に、今、私と共に居てくれるのだろうか・・・」と不安になり

「主は本当に存在されるのだろうか・・・」という思いにまで発展する時って、よくあると思います。

こんな時ってどうしたら良いのでしょうか?

時々訪れる、このような沼に浸かってしまったような状態に陥った時・・・

そんな時の為に「聖書」はあるのです!

聖書を読むのです。

そして主が私たちにして下さっている約束(例えば、エレミヤ29:11など)を読むのです。

そして「アーメン!主よ信じます!」と言って、「主」を選択するのです!

「私の目には、良くない状況に見えていますが、主の計画の中である事を感謝します」と「主」を選択するのです。

この様な経験が積み重なり、揺れ動かない、周りに振り回されない信仰へと成長していくのです。

ヤコブの様な大きな苦しみでなくても、何となく全てが上手く回らず、落ち込んでしまっている時も同じです。

そんな時の為に「聖書」があるのです!

今日は、聖書を読んで、「主」を選択しましょう!

祝福された一日となりますように・・・!!

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