思い煩いは、生きる力を奪います【ピリピ4:4-6】

2022年

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

ピリピ4:4-6

 

凄く悩みが多い人がいます。

凄くしんどくなって連絡が来ます。沢山話を聞きます。(私は沢山聞いたと思ってるが本人にとっては一部を話しただけかもしれません・・)

私が聞く限り・・・悩みの殆どは「思い煩い」なのです。

しかも多分多くの人は悩まない位の些細な事に心奪われ、心が疲れ果てるまで悩むのです。

 

今日の聖書の個所

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」

この聖書の「思い煩い」と言う単語には「心を分ける」という意味があるそうです。

本当にもともと一つしかない自分の心を分けすぎて、もう何が何か分からない位、色んな思いに押し潰されそうになってる状態なんだなと思います。

 

思い煩いは、体にも心にも本当に良くないものです。心が辛いだけでなく、体調まで崩すのです。病気を引き起こします。また人間関係にまで影響を及ぼします。

多くの人は、自分の思い煩いをどの様にコントロールしているでしょうか?

多く見られるのはアルコールやギャンブル、また人に対して攻撃的になります。とても人に対して厳しい人となるのです。

それは、自分は生きるのがこんなに辛いのに、幸せそうに生きている人を見ると許せない思いに駆られるのです。これは反射的に攻撃的になってしまうのです。無意識に攻撃的になることが多いです。

人を批判する事により、自分の苦しみを分散しようとします。そうして自分の心を安定させコントロールしようとするのです。

それが生きる方法となって身についてしまっているのです。

もちろん、その様な方法で解決しませんし、自分の周りの人間関係は良くない方向へと自分で導き、ますます孤独を感じてしまうのです。

しかし、本人は自分が生きて行く為にもがいた状態ですので、自分が人間関係を自ら難しくしてるとは気付かない事が多いです。「自分の周りには、良くない事ばかり・・」と思ってしまうのです。

自分で自分を追い詰めて行ってしまっているのです。増々、どうしようもない位、辛くなるのです。

 

どうしたらいいのでしょうか??

思い煩うという行動は、自分の心を分ける行動です。

どうして心を分けるのでしょうか?

失敗したくないから。人から良く思われたいから。目の前の現状と自分の望みに差があるから、選択に悩むのです。何が正解なのか分からなくて、心を一つに出来ないのです。(選択を失敗したくないという思いが大きすぎるのです。選択したものが失敗であれば、やり直せばいいだけなのですが)

 

「思い煩い」は、マイナスしかありません。 思い煩いからは、マイナスしか生まれないのです。

思い煩って良い事は一つもないと思います。思い煩いは「思慮深い」とは違います。

思い煩いは、生きて行く力を奪う力を持っています。

 

いつも喜んでいなさい、と聖書は語っています。

思い煩いが多い人は、いつも喜ぶことは不可能です。正反対な状態です。

しかし「今日から思い煩うのをやめよう!」と思っても、難しいです。

 

人に話したところで、少しスッキリするかもしれませんが、悩みが無くなる事はないです。息をするのが苦しい位、心が押し潰されている状態で、人に話したところで、一瞬だけ息継ぎが出来た・・という位しか、人からはそれぐらいの助けを得る事しか出来ないのです。

解決できない思い煩いがある人は、日にちが経っても、同じ話をします。先日話した話をまた始めるのです。もしくは、同じような話をずっとするのです。時間が止まっているのか、同じところをグルグル回ってるように感じます。

 

人に話したところで、解決はできないのです。

言い方を変えると「人に話すから解決出来ない」のです。

 

自分の心の中の全てを、主に話すべきです。 1から10まで全て話すべきです。

それしか方法はないと思います。

自分の苦しい気持ちを全て主の前に出すのです。そして「思い煩いから解放してください」と祈るのです。

それしか脱出の方法はないと思います。

主は「いつも主にあって喜んでいる」ことを望まれています。必ず助けて下さいます!

主は、私たちが解放を求めて、主の御前に来るのを待っておられるのです。

 

心を主に向け、解放されますようにお祈りいたします。

 

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