主の考えと私の考え【出エジプト14:13-14】

2024年

それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」

出エジプト14:13-14

私は次男が通う学校でPTAの代表をしています。

今、学校改革がなされていて、

内容が一方的に推し進められ、

色々な問題が生じています。

それに対処する為、毎日忙しくしています。

多くの保護者が賛同してくれていても

全ての保護者に理解を得るのは難しい…

反発し、苦情を言われる方もいらっしゃいます。

1人ひとり、丁寧に対応して説明をします。

骨が折れる思いです。

しかし、保護者は団結しないと、学校は今までとは違う形になってしまう…

私がこの活動をすることを主はどう思われているんだろう…という事を

ずっとずっと考えています。

主の御心は人々の救い…神の子として生きて行く事。

しかし、主の関心事は救いだけではないと思います。

私たちはこの世に存在します。

この世では色々な問題が生じます。

主はそのような問題にも、

無関心ではないと思うのです。

だから「私がこの活動をする時、出会う人、

話をする人、全ての人が

主を信じる事が出来るように」と祈りつつ…

いつも「これで良いのか?」という思いを持っているので、

だから、人から文句を言われたり、

心無い言葉をかけられても、

感情的になる事がなく…活動を進める事が出来ています。

そして考えたのです。

私はどうして主を気にしながら活動をしているんだろう?

今までの普通の代表であったら、

今のような学校が有事な時、

全力で戦う姿勢を持ち、学校と対立すると思います。

しかし、私はどこか「これで良いのか?」という事が頭からはなれない。

どうしてなんだろう…と考える中、

少し分かった様に思いました。

私たち人間が考える事と、主が考える事は全く違うからです。

…イスラエルの民がエジプトから脱出し、カナンの地を目指し始めた時、

エジプトの大軍が追いかけて来たのです。

民の目の前は、海…

民は非常に恐れたと記録されています。

そして絶体絶命の窮地に追い込まれた民は、

「エジプトには墓がないので、あなたは私たちをこの荒野で死なせるのか?」

「エジプトに仕えるほうが、この荒野で死ぬよりも良かった」

と民は考えたのです。

しかし、この時に主の考えは違います。

主の思いは今日の御言葉です。

今見るエジプト人は永久に見ることができない。黙っていなさい。

そして目の前の海が割れ、イスラエル人は助かり、

エジプト人は海の底へ…

本当に主の考え通りになったのです。

…五つのパンと二匹の魚で5000人以上を食べさせた話。

主は「あなた方で食べ物を与えなさい」という難題を言われ、

弟子たちの考えは

「どこで買うか」「いくら必要か」と考えました。

しかし、主は私たちの想像さえできない方法で、

私たちを満たされたのです。

人間には絶対に無理な方法で、主の考え通りになされたのです。

…ヤイロと言う会堂管理者も、自分の1人娘の助けを求めました。

一刻も早く主が娘に駆け寄る事を望んだのです。

しかし、主は足を止められ「長血を患う女性」に

時間を費やされました。

そうしている内に、ラザロの娘は死んだのです。

ラザロの家の者は「娘は亡くなった。もう主を煩わす必要はない」と考えたのです。

しかし、主の考えは、娘の時はまだ来ていないと考えられたのです。

そして、主が考えられるように娘は生き返ったのです。

…私たちは目の前の問題に対して

色々な考えを巡らします。

今まで生きて来た経験や、常識、感情などで判断するのです。

しかし、多くの場合、主の考えと私たちとは違っています。

そして、主の考え通りになっています。

私が目の前の問題にどう思おうと、

どの様に感じようと、もうダメだ!

方法が無い!と思ったとしても

主の考えがそうでなければ、大丈夫なのです。

だから、自分の感情より主の考えが大切…。

これからも「主がどう思われているのか」を

常に頭と心に記憶させ、歩んで行こうと思います。

今日も、主に語りかけながら一日をお過ごしください!!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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