主が私たちに望まれていること【ヨハネ15:5】

2024年

わたしはぶどうの木で、あなたがたが枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

ヨハネ15:5

昔、ある牧師先生が「牧師って孤独でもある」と言われているのを聞いた事があります。

教会に通うクリスチャンの方は、

何か悩みがあったり、困った事があったり、信仰に揺れを感じたり…

その様な何かピンチな時に、

牧師や同じ教会のリーダーに、自分が心を開こうと思えば、誰かに相談できます。

でも牧師がピンチな時は、誰にも話しができない…

教会に来る信徒さんに、「最近、神さまとの関係が…」とは言えない。

結局は神さまにしか話が出来ない。と言われていました。

そんな話を聞いた時から、私は、イエスさまは地上で過ごされた時、誰と一緒にいる時に、少しホッと出来たのだろうか…

と考えていました。

ずっと思い出す度に考えるのですが、まず思い出すのは、

マルタ、マリヤ、ラザロ…

この兄弟と親しくされ、愛されていたと聖書に書かれています。

…イエスさまの周りには、常に沢山の人がいました。

人々がイエスさまを一目見ようと、癒しを受けようと「イエスさま」「ダビデの子よ」と集まっていたのです。

しかし、それは「受けよう」という思いで、主のもとに集まっていたのであって、

主がピンチな時(人間的な視点で)は、誰一人共に居てくれなかったのです。

十字架に架かる時、イエスさまは一人だった…

今まで「イエスさま!」と切に願い求めていた人たちも、

また癒しを受けた人達も、

弟子たちも、

全ての人が主のもとを離れてしまった。

イエスさまに寄り添う人はいなかったのだろうか…

イエスさまは人間の姿をとられ地上に来られたので、

人間のように空腹を覚えたり、のども渇き、涙する事もあり…

自分の周りには常に人が押し寄せていたけれど、全ての人が「自分が受けるため」であり、

イエスさまが孤独な時は、誰一人寄り添って貰えなかった…

と思うと、凄く悲しくなります。

夫にこの話をすると、「弟子の中ではヨハネが近い存在だったのでは?」と。

ヨハネは(兄のヤコブも)気性が荒く「雷の子」と呼ばれていました。

ある時、サマリア人の村に伝道に行った時、歓迎されなかったことに怒り、兄のヤコブと共に

‟主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか。”
という程でした。
自分達を受け入れない人を見て、天から火をおこし彼らを焼き払いましょう!といってしまう気性。
しかし、イエスさまがは十字架に架かる前に、自分の母マリヤを、このヨハネに託しているのです。
残された母マリヤを心配し、ヨハネに託したのです。
ヨハネは、大切な人を託された。ゲッセマネの祈りや、イエスの変容などの同行もゆるされており、
最後の晩餐の準備もイエスさまに頼まれました。
だから、ヨハネに一番心を許されていたのではないか…と。(夫の意見です)

 

ヨハネは、主と共に過ごす事により、気性も性格も、整えらえていったように思います。

ヨハネは、どうしてこのように整えられ変えられたのか。

ヨハネは、イエスさまが十字架にかけられた時、傍で見守っていました。

イエスさまの復活を聞いて、誰よりも早くお墓に駆け寄よったのもヨハネです。

また、生涯伝道をし、天寿をまっとうしたのです。

ヨハネはイエスさまと出会い、変えられたのです。

雷の子とまで呼ばれたヨハネ。

どのように変えられたのでしょうか。

ヨハネは「ぶどうの木の枝」となったのではないかと思います。

「焼き払いましょうか?」と言っていました。
自分がぶどうの木なのです。
自分が何らかの実を結ぼうとするのです。
しかし、主と共に過ごす事により「枝」になる事の重大さを知ったのではないかと思います。
単なる枝。つながるだけの枝です。
主であるぶどうの木につながる事により、喜びも平安も主から頂き、実を結ぶことができるのです。
ヨハネは、イエスさまが天に帰られた後も、主に繋がり続けたのです。
イエスさまは、人間的な目で見れば、この世での生活はとても寂しかったと思います。
しかし、イエスさまはご自分の使命を果たし、天に帰られた後、
地上で弟子たちはぶどうの枝となり、
主からの助けにより沢山の実を結んだのです。
そしてこの弟子たちが、枝となってくれたお陰で、今の私たちも主と出会う事が出来ているのです。
私たちも、ぶどうの木の枝となりましょう。
実をどれ程結ぶかという事に心捕らわれず、
主と繋がるという事に専念しましょう。
自分の信仰の為だけではなく、隣人の為に。後世の為に。
私たちが、主に繋がる「枝」となる事を、主は望んで居られるのです。

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!

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