主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。詩篇23:1-4
今の生活が、もう少し〇〇だったら… 良いのにな~とか思いませんか?
もし、〇〇だったら… どんなに良いだろうか。
これさえあれば、こうなれば、もっと幸せだろうに…
私も含め、私たちには多くの「欠け」があると思います。
その欠けを埋めようと、色々と探し求めるのです。
「こうすれば、欠けを埋める事が出来るのではないか」
「もっとこうなれば、満たされるのに」
どうしたら、自分の欠けを埋める事ができるのか…
求め続け、色々なものを探し、手を伸ばして取ってみて「これではなかった」「これも違う…」
「こんどこそ、これで満たされるのではないか…」と、
物であったり、人生の選択であったり、人であったり…
自分の中の欠けたものを埋め、
自分の心の中に存在する、風が通り抜けるような空間を満たそうとするのです。
生きる事の虚しさや、愛情を求めたり、承認欲求、安定した生活…
沢山の欠けをもって生きています。
いつになったら、この欠けは満たされるのでしょうか。
今日の聖書は、ダビデが書いたものです。
ダビデは、死の陰の谷を歩むような、苦しみの淵を通るようなことが何度もありま
した。
そのダビデが、自らの歩んできた人生を振り返りながら、
「私は乏しいことがありません」と歌ったのです。
ダビデは、少年の時から羊飼いとして1人孤独な時間を過ごしました。
またサウル王に命を狙われ、大人になっても孤独な時間を過ごした人物です。
ダビデは、羊飼いと言う仕事をしながら、羊がどのような動物で、また羊飼いがどのような存在であるかをよく知っていたのです。
まず羊は弱い動物です。
自分よりもどう猛な動物に襲われたら… おしまいなのです。
自分で自分の身を守る強さを持っていないのです。
足も遅く、敵から逃げる事が難しい動物。
また、目も悪く、見るべきものをしっかりと見ることができない。
また、犬のような帰省本能というものを持っていないようです。
群れからはぐれてしまったら、自分一人の力で帰ることもできない…
どこに美味しい草があり、どこで水を飲むことができるか、
羊飼いの世話がなければ、自分ひとりでは生きていけない動物なのです。
自分で何も出来ないのに… 性格は頑固だそうです。
羊も私たちと同じで、欠けているところばかりな存在なのです。
2節には「緑の牧場に伏させ」と、あります。
羊はとても繊細な動物で、条件が揃わないと寝る事をしないそうです。
無理やりに休ませる事は出来ないそうです。
怖がりな羊は、物音にビックリし一頭が走り出すと、他の羊もつられて走り出すようです。
まず、恐れがない状態を羊飼いが整える必要があるのです。
羊にも縄張り争いのような上下関係があるようで、強い羊が弱い羊をつつく…
つつかれた羊は、自分よりも弱い羊をつつく…
仲間との摩擦に配慮しないといけないようです。
また、お腹いっぱいにならないと安心して寝る事が出来ないようです。
手のかかる動物。
羊飼いがいないと、羊は安心できないのです。
欠けの多い羊が、安全、安心して生きていく為には、
羊の世話をし、敵から身を守ってくれる「羊飼い」という存在がどうしても必要なのです。
羊にとって羊飼いが必要なように、
私たちにとって神さまという存在がどうしても必要なのです。
ダビデはイスラエルの王になった人物です。
しかし、自分を振り返り、自分(人間)の事を羊だと書いているのです。
何から何まで、主に頼り生きている存在であると。
自分一人では何をもすることが出来ない弱い存在であると告白しているのです。
王でありながらも、主の御前で、自らの弱さを徹底的に自覚できていたのです。
新約聖書にも羊の例えがあります。
また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。(マタイ9:36)
イエスさまの元に集まる群衆を見て、羊飼いのいない羊の様だと言われたのです。
また、
私は良い牧者です。私は私のものを知っています。また、私のものは、私を知っています。
それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同様です。また、私は羊のために私のいのちを捨てます。(ヨハネ10:14-15)
私たちの主は、羊の為に命を捨てる…と言われています。
頑固にならず…
自分で良い草や水を探し求めるのをやめ、
羊飼いを信頼し、羊飼いの導き通り歩むのがいいようです。
主が私たちの「欠け」を満たして下さる唯一なお方だから。
今日も、主に感謝の心を持って主と共に時間を過ごしましょう!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」