さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。
ルカ1:80
今日、読んだ聖書の箇所で心にとまった聖句があります。
イエスさまにもヨルダン川で洗礼を授けた、バプテスマのヨハネの話です。
このヨハネについての記載は思いの外、多くありません。
ヨハネの誕生についてはルカの福音書にしか記録がありません。
ユダヤの王様がヘロデだった時代、
ヨハネの両親となる祭司のザカリアと妻のエリサベトは、「神の前に正しい人」と聖書に記されています。
2人には子どもがいませんでした。ある日、天使のガブリエルが父ザカリアに現われ、
「ザカリアよ、あなたの妻エリザベトは男の子を生みます。
その子を”ヨハネ”と名付けなさい。彼は神の前に偉大な人物になるでしょう。」と言われます。
胎の子は主の御前にすぐれた者となり、まだ母の胎内にあるときから聖霊にみたされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。・・と予言を受けます。
この様な天使からの予言を受けて生まれたのが、バプテスマのヨハネなのです。
ヨハネが胎児6カ月の時に、天使の御告げによりイエスさまを胎に宿ったマリヤは、
従姉妹のエリザベトも御告げにより妊娠していると知り会いに行きました。
マリヤの挨拶を聞いたエリサベツの胎内で子はおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。と記録されています。
予言通りヨハネは、主に逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、整えられた民を主のために用意する為に用いられる人物となりました。
バプテスマのヨハネは、イエスキリストの先駆者だと言われています。
イエスさまが来られるのを準備し、人々に悔い改めをさせ、道を切り開く働きをしたからです。
今日の御言葉、
さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。
この幼子とは、バプテスマのヨハネの事です。
ヨハネは成長し、それに伴い霊が増々強くなったのです。
そして主の働きをする前まで・・人々の前に大胆に働きをする前まで、「荒野」にいたのです。
「荒野」とはどのような所でしょうか。
聖書においての「荒野」とは、人生をさまよい出ていく、人生の道を失う・・そんな場所となっています。
神さまに背いた者が行く場所でもありました。
荒野には道もなく、水もないのです。その環境でさまよいながら、主に不満をつぶやく場所でもありました。
またヘブル語で荒野は「ミドゥバール」と言い、荒野以外に、「口」という意味があるようです。
荒野でイスラエルの民は40年間さまよい、主の声を聞きました。
預言者エリヤも、表舞台に登場する前に荒野に身を置き、祈りの生活をしました。
つまり「荒野」とは、神の民が「神のみことばを聞き、それによって養われる」という意味もあるのです。
ヨハネの様に、生まれる前から神の前に偉大な人物になると予言され、胎児の時から聖霊に満たされていた人物でさえ・・・
主の働きをする前は、主がヨハネを荒野に置かれたのです。
ヨハネを荒野に置かれ、整えられる時間をもったのです。
今日のこの聖句を読み・・・「一日のスタート、荒野に身を置くように整えられてから始めるべき・・」と感じました。
ヨハネやエリヤでさえ・・整えられる時間が必要だった・・と思ったのですが、よく考えたらイエスさまでさえ公生涯の前に荒野で40日という時間を断食し祈りの過ごしています。
私たちは尚更、、、日々主の前に時間と心を持つべきだ・・・と反省しました。
主が私たちを自由に用いられるように、整えられる時間を持ちたいです。
今日も、主と共に歩む一日をお過ごしください!