目の前の状況に錯覚しながら生きている【イザヤ55:8-9】

2023年

わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

イザヤ55:8-9

仕事で行っている病院。

私が働く病棟は「消化器内科」

アルコール中毒の患者さんが多くいます。

驚く事に、臨月以上にお腹が膨れ上がっている患者さんがいつも数名います。

アルコール中毒で重症な人は、肝臓にダメージを受け、肝臓が固くなる「肝硬変」になるようです。

そして肝硬変が進むと、血液の流れが悪くなり、腹部に液体が溜まるようです。

この液体「腹水」がお腹を大きく膨れ上がらせているらしいです。

体中に黄疸の症状が出てる人もいます。

症状が進み、意識障害を引き起こす人も居られ(何を言っているのか、自分が今どこにいるのか分からない)、肝臓がんになったり、亡くなる方も…

病室で話をすると、

時折「もう…耐えれない…死にたい…」とつぶやき涙する人が居ます。

症状が悪化して苦しく辛い入院生活を送っているのです。

話をすると皆、後悔しています。

楽しくお酒を飲まないといけないのに、ストレスや付き合い、現実逃避で度を越してしまったのです。

「お酒がこのような苦しみを与えるものだと知らなかった。」

「自分がここまで症状が悪化するとは思ってなかった。」

「今まで周りの人に ”飲みすぎ!お酒辞めて!” と言われても、やめるという選択肢は考えられなかったが、

今、やっとここまで悪くなって本当にお酒から解放されたいと思った。」

お酒は人生を楽しますものだと思っていたけれど、病気になって初めて自分をこんなにも苦しめ、家族関係を崩すものだと気付いたというのです。

今現在、自分の目に写る状況、自分が感じる楽しさや満足感などが、全てではないのです。

凄く満足している環境であっても、実はサタンの罠かもしれない。

反対に、苦しく辛い環境で早くこの環境から脱却したいと思っている環境に、意味があったりするのです。

私は、「もう死にたい…」と呟く患者さんの肩を擦りながら、

色々、考えさせられます。

私たちは「目の前の状況に錯覚しながら生きている」かもしれない。

高校生の時にデッサンを習った時のことを思い出しました。

初めて教室に行った時、先生が簡単な石膏の置物を出され、描いてみるように言われました。

私は自分なりに満足に描けたと思い、先生に提出しました。

すると先生が「うーん…君は左右の視力が違うの?」と言われたのです。

私は左目だけが悪く、左右の視力に差があったのです。

「どうして分かったんですか?」と聞くと「すこーし、遠近感がズレている」と言われました。

ビックリしました。

私の目には置物を見えるままに描いたのに。

家に帰り家族に描いた絵を見せても「へー上手~!」と言われ

「左右の視力が違う」とは言われませんでした。

肩を擦りながら、この時の事を思い出しました。

自分の目に写るものが全てではないし、正しくもない。

見えているようで見えていない。

苦しく辛い状況は、本当は人生で大切な時間かもしれない。

本当の価値は主にしか分からない…

今感じる不安や恐れも、全く的外れな思いかもしれない。

私たちが抱えている不安の正体は、全くの的外れかもしれない。
目の前のことですら、見えているようで見えていない…
目のつけどころが間違っている、ピントがずれている…
正しく本当の姿を見えていないから、判断が狂って1人苦しんだり悲しんだり。
私たちがすべて知ることは不可能。
そんな不正解な答えしか出せない状態で、
「これをこうすると、こうなるであろう……」と計算をしても、
最初の前提が間違っているのだから、正しい答えはでない…。
今日の御言葉にあるように、
主の思いは、私たちの思いと異なる…
主の道は、私たちの道より高い…
根本的に、私たちは、神の視点に立つことができない…
神ではない人間は、この世の全体を把握することは不可能だから。
どんなに努力しても出来ないものは出来ず、主に頼るのが一番。
だから、私の思惑と、神の導きが合わない場合は、自分の計画を捨て主の導きに任せるのか一番。
自分の勝手な判断から解放され、謙遜に生きれますように…
今日も、素晴らしい主と共に歩む一日となりますように!
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