押し寄せてくる問題からの解放【詩編146:1-2】

2023年

ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。

私の生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。

詩編146:1-2

今、私の友達は沢山の問題の中にいます。

仕事もトラブル続き、家族も大きく体調を崩し、家族の不仲が酷くなり・・彼氏とも揉め・・

この友達の様に、問題が次から次へと押し寄せてくることってないですか?

自分に降りかかって来た問題が解決されないまま、また新たな問題がやって来るのです。

「問題に潰されそう・・💦💦」と感じた事があると思います。

私たちは多かれ少なかれ、問題を持つ者です。問題なく生きていける人はいないです。

それが途轍もなく多いな問題だった場合、どうしたらいいのでしょうか。

自分で解決できず、主の介入しか方法がない場合、どうしたらいいのでしょうか。

もちろん、私たちはクリスチャンですから、祈って「主の時」を待ちます。

主を信頼する!という事を選択しても、信仰の弱い私たちは直ぐに疑心暗鬼になってしまいます。

私も、このような経験があります。(2022.12.15にも書いています)

韓国に留学に行き、今までに経験した事がないことを経験しました。

反日感情があります。どこに行っても、何か言われます。バスやタクシーはもちろん、デパートに行っても、郵便局に行っても、警察に行っても、教会の中や大学の寮は尚更です。一緒にいる時間が長い分、私にとっては辛い時間でした。

「日帝時代」「竹島問題」・・これらを突き付けられても、私は答える事が出来ません。

罵声を浴びれば、私も傷つきます。その傷が癒えない内に、どこに行っても何か言われるのです。

今でこそ、韓国が好きでKPOPが好きな日本人の人は韓国に留学しますが、当時、日本人は居ませんでした。

今の時代の様にSNSがない時代・・また、「韓流」という言葉がない時代。

周りは全て韓国人で、誰にも自分のストレスや傷付いている事を相談出来なかったのです。

次から次へと、ストレスと、きつい言葉が私に降りかかってくるのです。

私は主の前で泣くしか方法がなかったのです。毎日のように泣きました。

教会に祈祷室があります。そこに行き、一晩祈る事も多かったし、何も祈れず泣きに行く事も多かったです。

自分には解決が出来ない問題だからです。

そのように、祈っても祈っても解決策がなく、自分が解決できない問題が押し寄せてくる環境で、私は自分の居場所を見つけました!

「賛美の中に入る事」です。

特に祈りの言葉が出ない位、追い込まれている時・・ 賛美のシャワーを浴びるのです。

私は常に賛美を聞きました。部屋(家)に戻った瞬間に賛美をかけました。歩いている時も賛美を聞いました。

夜の祈祷室では、賛美を聞きながら大声で賛美をしたり祈ったり、泣いたり・・・

賛美に満たされ、主の前で泣くと、自分の傷ついてボロボロに硬くなってしまった心が、主の前で流す涙で解かされていくように感じました。

賛美を浴びるように聞くのです。

賛美を続けると、沢山の言葉にならない思いから解放され、空は、雨雲が分厚く天気は曇っているのに、その雲の間から光が差し込むように、「ヤコブの梯子(階段)」のように、私に光が当てられます。

自分が主と繋がってるのを感じます。

そうすると、賛美をする前に持っていた、疲れた心、良くない思い、不満、怒り、悲しみ、主への怒り、何とも表現できない沢山の思いから解き放たれます。

色々な多くの思いを担いでいた事を実感します。そして賛美の中で全てを手放す事が出来るのです。

この光の中には、色々と持ってしまっている私の思いも、誰も存在する事が出来ず、主と私だけが存在するのです。

賛美の中では自由になれるのです。

賛美の中で主に繋がる事ができるのです。

次の日になると、日常は変わっていません。どこに行っても誰に会っても何か言われるのです。

しかし、賛美の中で受ける慰め、主の臨在が心にあります。私には主がいる・・

状況が変わらなくても、私の心は変えれるのです。

賛美の中で主の時を待つのです。

私は霊的に・・とかそのような賜物はないのですが。

韓国で何度か驚いた事があります。

誰かの家に呼ばれて、入った瞬間に何とも言えない、感じた事がない平安を感じる事がありました。

初めて行った教会で、イスに座った瞬間、思いもせず涙が溢れたこともあります。

祈られている場所、賛美を捧げられている場所・・違うと思います。

韓国の小さな教会が、少し人が増えて引越しをする時は、もと教会として使われていた所に引越そうとします。

一度聞いた事があります。どうして新しい新築の場所に引越さないのか。

「ここは祈られてきた場所だから」と言われていました。

自分の家・・・祈りと賛美で溢れさせ、霊的な祝福を積むべきです。

家庭で自分だけがクリスチャンの場合、特に祈りと賛美を積むのが良いと思います。

未信者の家族に、霊的な影響が起こると思います。

クリスチャンホームは一層恵みを受ける為です。子どもたちがこれからも信仰を離れることなく人生を歩んで行く為です。

また自分自身の為です。どのような局面に立たされても、主の手を離さない為です。

賛美・・・凄く良いです!!

賛美に満たされた一日をお過ごしください!

御心を選ぶという事【イザヤ55:8-9】
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ― 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 イザヤ55:8-9...

PS. 主は私が主だけを見上げる為に、私に一人の環境を与えられ孤独にし、またそのような環境になる為に、私に与えられた人々に出会ったのだと思います。今思えば、私が出会った韓国の方は主が送ったエキストラだったのではないか・・とも思います。

タイトルとURLをコピーしました