祈れない理由【Ⅱコリント12:9b】

2023年

わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

Ⅱコリント12:9b

祈る事が出来ていますか?

私は沢山祈りたいといつも思っています。

友が救われる為に祈ろう!

辛い時間を過ごしている友の為に祈ろう!と思い、

毎日祈っています。

毎日祈っていますが、しかし…

毎日忙しい! しないといけない事がいっぱい! あっという間に一日が終わる…

どうすれば良いのでしょうか。

どうすれば、もっと祈れるようになるのでしょうか。

忙しい日々の中、「祈りに時間を割く…」という考え方ではなく、「祈りたい!」と思えてこそ、

本当に祈れるようになると思います。

自分の心が「主に祈りたい!」と思える為に必要な事は、多分、1つかもしれません。

…自分の弱さを知ること。

自分の弱さを知らないと、祈りが必要だとは思えないような気がします。

自分に本当に力がない。自分は本当に弱い。主に依り頼むしかない…と感じる事が出来ているか…だと思います。

自分の弱さを認められないと、知らないと、痛感しないと…

主を必要としないのではないでしょうか。

主を必要としない人が、祈るという事は難しい気がします。

ですから、なかなか祈れない…という現実は、

自分の力や能力で何とかなる。まだ生きていける。という思いが自分の中にまだあるという表われの様な気がします。

自分の弱さを知ることが、祈る者へと変えられる第一歩のように思います。

私たちが住むこの世界では、自分の弱さを克服し、乗り越え、強くなりなさい、という考えがあります。

このような者が立派な者であり、積極的に生き抜くたくましい姿であり、習うべき姿のように感じてしまいます。

反対に、自分の弱さを克服できずにいると、人からの評価は下がってしまうように思います。

私たちが生きている世界は、弱さを受け入れにくい世界です。

だから、どうしても自分を強く見せ、自分の弱さを隠そうとします。

その結果、私たちは疲れ果ててしまい、上手く弱さを克服できない自分に失望をしてしまうのです。

神さまは人間を創造された時、一人一人を完全な存在として創造されませんでした。

私たちは、命も、肉体も、思考にも、限界があり、

弱さや足りなさを与えられています。

弱さを与えられた理由は、

主を見上げる為ではないでしょうか。

主を求める為ではないでしょうか。

私たちの弱さは神の愛で覆われる必要があるんです。

1つでも多くの自分の弱さに気付き、主に覆って頂きましょう!

今日も、主に、自分の弱さを告白し、主に助けを求めれる者となりますように!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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