もう何がなんだか分からない…【ヨハネ4:14】

2023年

 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。

ヨハネ4:14

人生の何かが上手くいかず、モヤモヤとし、ため息が出る事ないですか?

何となく、あの事やあの問題が、解決すれば、人生がもっと豊かになるのに…

もうどこからどう手を付けて良いのか。

今、自分は何をしないといけないのか…分からなくなる事ってあると思いますし、

そう感じている人も結構多いと思います。

聖書に出てくる「ザアカイ」もその様な人生を歩んでいました。

ザアカイは、「徴税人」というローマ帝国の権力を楯に、同胞のユダヤ人から不正な方法でお金を巻き上げていたのです。

当然、人々からは嫌われる存在に…

富が幸せを与えてくれると信じ、ザアカイはもがいたのです。

周りにどう思われようが幸せを手に入れようと信じ、一心不乱にトップにまで上り詰めました。

しかし富は彼を幸せを与えてはくれなかったのです。

ザアカイは誰に何と言われようと、どんなふうに見られようと、そんなの関係ないと、ほとんど開き直って生きていたのかもしれません。

いつも冷たい目で、「お前は罪人だ」と後ろ指を指されながら生きていたザアカイ。

強がった所で、心は寂しかったと思います。

しかし、どうしたら良いのか分からなかったんだと思います。

仕事を辞める訳にもいかず、

誰かに相談する事も出来なかったのです。

自分でどの様に生きて行けば良いのか分からず、突き進むしか方法を知りませんでした。

ザアカイの心は渇いていたんだと思います。

自分ではどうする事も出来ない暗い日々に、主を求めて、木に登ったのです。

主は、そんなザアカイの心の奥をご存じだったのです。

「ザアカイ」と名を呼ばれ、

ありのままのザアカイを受け入れて下さいました。

主はザアカイに説教をされたのではありません。

ザアカイを受け入れ愛されたのです。

主はザアカイに「失われた人を捜して救うために来た」と言われました。

生きる事に疲れ人生を失っているザアカイを救う為に来られたのです。

ザアカイは悔い改め、富でなく主によって心が満たされたのです。

そして主に諭されたのではなく、

「私の財産の半分を貧しい人たちに施し、私がだまし取った物は、四倍にして返す」と

自らがこれからの人生の歩む方法を悟ったのです。

またザアカイと同じように渇きを覚えていた女性がいました。

サマリヤの女性です。

彼女は5回の結婚と5回の離婚をし、同棲中でした。

人生の虚しさを男性が癒やしてくれると信じ、結婚と離婚を何度も繰り返したんだと思います。

彼女も、何とか心の渇きを埋めようと自分が考える方法で埋めようとしたのです。

主は女性の渇きをご存じで、彼女のためにサマリヤへ来られたのです。

そして彼女を正しい方向へ導かれ、心の渇きを癒やされた。

この世の水は、幾ら飲んでも渇く。

飲んでも飲んでも必ず渇くのです。

決して、この世の水では私たちの心を満たす事が出来ないのです。

もうどうしていいか分からない時、

何から手を付けたら良いのか、

自分が何をしているのか、

どこから間違ってしまったのか、

自分が結局は何を求めているのも分からず、

心が渇いているなら…

主のもとに行き、主に求めましょう!

パスカルの言葉

「人の心の中には、神の形をした空洞がある。その空洞は創造者である神以外のものによっては埋める事が出来ない」

心の空洞は、私たちにとってはとても嫌なもの。

虚しさや寂しさ、孤独を感じさせ暗闇に閉じ込めようとするもの。

でも、この空洞は主が与えられたプレゼントだとも思います。

この何を持っても埋める事が出来ない空洞があるから、人は主を忘れずに求める事ができる。

心の空洞がなければ、人生に虚しさがなければ、

私たちは主を求めないし、主を忘れて生きると思います。

最近、なんかダメだな~と感じたら、

一刻も早く主のもとに帰りましょう!

賛美をし、聖書を読み、祈る時間を持つのです。

これ以外、私たちの空洞を満たすものはないのですから。

今日も、主との時間を共に過ごしましょう!!

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