こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり、完成者でイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
へブル12:1-2
先日、次男が英検に合格しました。
今の級に合格するのに3年かかりました。
次男は「わしは今まで、友が自分(の英検の級)に追いつき、また自分を追い越す姿を何人も見送って来た…(笑)」
「やっと受かった~! 勉強せずに英検受けたら1つの級に上がるのに3年もかかった~(笑)」と言っていました。
同じクラスとの友達は、「〇級に合格したい!」という思いが強く、その為に単語帳を見たり勉強したり…
目標を持ち頑張ったのです。
次男も英語の勉強をサボった訳ではないと思います。
でも「絶対に受かりたい!!」という目標・意識があまりなかったのです。
検定はコツコツ勉強しないと合格しないでしょうし、そのコツコツを続ける為に目標が必要なのです…
そしてその日の夜に、
「英検も終わったし、筋トレを再開しよう!」と言いました。
次男は ‟細マッチョ”を目指し、家で筋トレを始めました。
「うぉ~~!効いてるっっ!」と騒いでいます。
そして私に説明します。
この動きはこの筋肉に効く。この動きは、この筋肉に効く。と…
私が見よう見真似で真似をすると、
「もう、適当にするんじゃなくって、筋トレする時は、どこの筋肉に効いてるか感じながらするのが効果的!」と言います。
そういえば、「トレーニングは、意識の持ち方によって効果に差がでる」というような言葉を聞いた事があります。
「意識する」というのはとても大切だと思います。
次男の英検のように、何となく頑張るのと、目標を意識して頑張るのでは結果に差が出るように、
筋トレも、鍛える筋肉を意識する事により、効果に差がでるのです。
信仰も同じだと思います。
意識をもって聖書を読む。
主を意識して生活を送る。
意識があるか無いかで、信仰の成長も違います。
また意識を持つ事によって、主を感じ、体験する事も出来るのです。
そして一番大切な事は、
「自分の人生のゴールも意識する」という事だと思います。
何となく歩む人生は、何となく終わるような気がします。
今日の御言葉にもあるように、
信仰の創始者であり、完成者でイエスから目を離さないで生きて行くという事を意識しないとダメなのです。
「主よ。今日もあなたを感じる一日を過ごす事が出来ますように」
「主よ。今日も主の御声を聞き逃す事がありませんように」
「主よ。今日も主の導きに敏感に感じる事が出来ますように」
「主よ。私に沢山語って下さい!! 私の心がいつも主と共にありますように…」
この様に祈って一日をスタートして下さい!
一日一日が変わってきます!
今日も主と共に歩み、主を感じる一日となりますように!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」