知ってると思ってたけれど、知らなかった・・【Ⅰテサロニケ5:18】

2023年

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

Ⅰテサロニケ5:18

最近、大きく学んだことがあります!

私はここ最近、心が落ち着かずに過ごしていました。

ずっとブログを読んで下さっている方はご存しかも分かりませんが。

長男がアウトリーチ(伝道旅行)へ行っているからです。(6/21-7/8)

ソウルからオーストラリア経由でバヌアツへ。

オーストラリアから連絡があり、「次に連絡できるのは、バヌアツからオーストラリアに戻った時だと思っておいて」と言っていました。

一日に何度も長男と一緒に行っているチームを思い出します。

思い出す度に、良くない事が頭を過ぎるのです。

「今、怖い思いをしていたらどうしよう・・」から始まり、次々と良くない出来事を想像してしまうのです・・

そんな中で祈るのです。

「主よ。どうかこの11名が無事に帰ってきますように。怪我もすることなく無事に帰して下さい!」

そして、次に思い浮かべる事は、

「主よ。どうかこの子たちが主をもっと知り体験する事が出来ますように。このアウトリーチを祝福して下さい」

そして最後に、

「バヌアツの国の人、子どもたちが出会う一人一人を祝福し、今までに福音が入った事がない部族の方々に福音が届きますように。主の御業がなりますように」

と・・祈るのです。

私は、祈りは思いつくまま祈っても良いと思いますが、「どの様に祈るか」が凄く大切だと思っています。

この様に、ドキドキした不安な思いをもって思いつくまま祈りながら・・

何か違う・・主が望んで居られるのは何だろう?

もともとこのアウトリーチの目的は、「その地の福音化」であるはず。

ならば、「福音化」からまず祈るべきではないか?

「福音化」→「主を体験」→「安全・無事」という順番で祈るべきではないか・・?という葛藤が起こっていました。

でも私の本音は「子どもたちの安全」なのです。

「神さま、どうか無事に子どもたちを帰して下さい・・」と言うのが本当の一番の願いなのです。

祈りを、「福音化」→「主を体験」→「安全・無事」としようとしても、ドキドキが収まらず、早く「安全」を祈りたいのです。

ですので、「福音化」を祈っていても、心は「安全」を願っているのです。

「安全」から祈っても、次に「主を体験」「福音化」を祈っても、心の中に「安全」を願う思いが強いのです。

そんな中、数名の人から「あれから連絡あった?毎日祈ってるよ!」と連絡を貰いました。

私「ドキドキして、ちゃんと祈れない・・私の代わりに祈って・・祈る前から‟素の母親”の思いが強すぎて・・💦」と言っていました。

そして、このブログを読んで下さっている一人の姉妹がDMをくれました。

以前から何度もDMのやり取りがあり、この彼女は洗礼を受けて今月で丁度1年です。

私は彼女のDMを読みながらいつも、「神の子とされ喜びに満たされながらも、大きな試練も受け、しっかり主を見上げながら必死に主に付いて行く!」という印象を持っています。

私は彼女が「神の子として、大きく整えられている時間を過ごしてるんだな~」と感じています。

この彼女から先日、DMを貰い、ブログについての感謝と今の自分の心境が書かれていました。

「神の子として整えられていく」過程の中で、以前の自分と新しく整えようとされている自分の中で、どうしても葛藤が生じます。

その葛藤の真っ只中に居ます。

DMの中に

「最近、映画を見て、どん底から這い上がった話で、軽妙だったので、なんだかとても元気をもらって、俳優さんのいい人ぶりに謙虚さに感動し、私も人に対してフラットに、優しくなりたいと思いました。」

と書いてあったのです。

そうなんです!

主は、聖書を通して語られる事が多いです。しかし日常の他愛もない事柄を通しても語られる事も多いのです。

何となく見た映画・・それを通して、「あ、こんな姿で生きたい」とか、気持ちが変えられたりします。

御言葉にこう書いてあるから・・私は優しい人にならないといけない・・と、頑張ろう・・と思う事もあると思いますが、

ふと、目に入ったものが自然と自分の心を動かす事があります。

そして、そのDMの続きに、

「主人公の記事を読んで、目の前に起こる事全て、今までは自分を軸に考え感じてようとしていたな〜と悔い改め、一旦手放して、神様に感謝することから初めてみようと思いました。」

と書かれていました。

この文を読んで、私の心に主は働かれました。

そうなんです・・

「福音化」「主を体験」「安全・無事」の3つの内、どれから祈るのか・・・ではなく。

1番は「感謝」から祈るべきなのです。

あ・・・そうだ・・「感謝からなのに・・💦」と思い直し、

まず、感謝を探しました。

「長男が与えられている事に感謝」

「韓国で沢山の良い出会いがあり守られている事に感謝」

「長男が健康でいる事に感謝」

「長男が牧師を目指そうと言う思いが与えられている事に感謝」

「‟自分が一緒に行く牧師先生の一番の助け手になる”と自分の役割に気付けている事に感謝」

「今回のアウトリーチに参加できた事に感謝」

・・感謝を探すと、すっごく沢山の感謝が溢れ、感謝の祈りが長くなりました。

感謝を祈るうちに、ドキドキが収まり、その後「福音化」「主を体験」「安全・無事」を祈っても、落ち着いて普段通り祈れるのです。

私は「感謝から祈る」って何度も聞いたので知っています。

でも今回の事を通して「感謝の祈りから始めるって・・凄い・・魔法の言葉みたい・・」と思いました。

今も1日に何度もこの宣教チームを思い出しますが、不思議とドキドキが収まっています。

落ち着いて感謝の祈りから始め、心が凄く穏やかになるのです。

祈りは感謝から始める・・・

何となく、「神を崇めてから・・祈り始める」というイメージがあるように思います。

感謝の祈りは、「主を崇める、主を誉める」というより、

主と自分の位置関係を正してから・・というイメージに変わりました。

また、既に自分には多くのものが与えられているという事に、改めて気付きました。

感謝から始める祈り! 凄いです!!

今日は、感謝からの祈りを捧げて下さい!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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