主の助けはどうして遅いのか【Ⅱペテロ3:8-9】

2023年

しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

Ⅱペテロ3:8-9

主の助け、主の答えが、遅い・・と感じる事ありますよね。

なかなか答えてもらえない。

いつまで苦しみが続くのだろう。

「どうしよう。どれを選べばいいのだろう?」と焦ったり、不安になったり。

主よ・・早く答えて下さい!!

という思いが募って来ると、段々と不信感が出てきます。

主は本当におられるのか。

主は本当に今も生きておられるのか。

という思いが生じると、もっと疑心を抱くようになります。

主は確かに居られると感じた事があるけれど、あれは何だったんだろう?

今まで主を感じたのは・・偶然・・?

自分が勝手に「主が助けて下さった」と思い込んでただけ?

・・と心が動くのです。

自分が思ったように主が働かれないと、不信仰になってしまうのです・・💦

主は、凄く早く答えて下さる時もあり、すっごく時間をかけられることもあります。

もう何年も祈っているのに・・という事も実に多いのです。

どうしてでしょうか。

ひとつだけ分かっている事があります。

私たちは時間に支配されており、主は時間に支配されていないと言う事です。

私たちは毎日忙しく、友達と会う約束さえスケジュールを確認してから約束をします。

日々、決められた時間の中で動いているのです。

寝る時間も必要だし、起きる時間も決まっているし、いついつまでに、しなければならない事が多いのです。

私たちは、タイムリミットを意識しながら生きているのです。

しかし主は、神様は「時間」というものに縛られていない。

時間軸が違うのです。

永遠の尺度から物事を決められているのです。

アブラハムは、子どもが与えられるという約束を受けたのは75歳の時でした(創12:1-4)

しかし実際に与えられたのはアブラハムが100歳。サラが90歳(創17:15-21、創21:1-7)

実に約束から、25年・・💦

イエスさまの愛する友、マリアとマルタの弟のラザロが今にも死にそうだと聞いても、

イエスさまがラザロのもとに行かれたのは、ラザロの死後4日経っていました(ヨハネ11:17)

イスラエルの王になると言われたダビデも、サウル王に追われ何年も荒野を逃げ回りました。

ヨセフも子どもの頃、不思議な夢が与えられました。

しかし兄たちに奴隷として売られ、

夢とは程遠い環境に22年も過ごしたのです。

時間に捕らわれ支配を受けていない主は、永遠というものさしの中で、私たちに答えられています。

そう考えたら、自分が生きている間に答えを貰えるというのは、凄く早い答え・・だと言えるかもしれません。

一番ベストな時に、手を差し伸べられるのですから。

私たちが時間に縛られず、自分にタイムリミットを課してなかったら、「焦りや不安」は無いように思います。

主から答えを貰えず、焦り不安になった時・・

「主のベストの時」ではないという事。

今は、自分のタイミングであって、主のタイミングではないと言う事。

大丈夫!!

主が一番良い時に、必ず答えを下さり、手を差し伸べて下さいます!

主のなさることはとっても神秘的で、時にかなって美しいのです。

なんでも素早く済ませたい私たちとは違うのです。

主に委ねる日となりますように・・

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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