恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
イザヤ41:10
今日の御言葉…凄く好きな御言葉です。
何度も何度も、励ましと勇気を貰った御言葉。
多分、多くのクリスチャンが同じように、この御言葉から主の愛を感じたのではないかと思います。
この世で生きていく事に、疲れを感じたり、社会の圧迫や社会の基準の狭間で、私たちは魂が疲れたりします。
また自分の罪の問題に疲れ果ててしまう事もあります。
この御言葉を読むと、パウロを思い出します。
パウロは福音を伝える為に、絶えず反対勢力が動きました。
パウロの心はすり減り、疲れを覚える度に主が共に居て下さいました。
パウロは自分と同じパリサイ人に対して証をしたいという思いを持っていました。
エルサレムに行き、主に出会った事を語り、異邦人に遣わされていると話したら、騒動が起き、牢獄へと連れられたのです。
パウロは、いつも自分の命の危険を顧みず、ものすごい騒動が起きても、怯(ひる)むことがなく突き進みました。
実際に、主がパウロのそばに立ち「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。(使徒 23:11)」と、主が励まされています。
私は今まで、今日の御言葉のように「主は、パウロと共にいて下さったんだな。主の義の右の手で守られたんだろうな…」と思っていました。
今日は使徒の働きを読みながら、
パウロって凄いな… どうしたらこんなに大胆に証をできるんだろう。
パウロが信じている主と、私が信じてる主は同じなのに。
パウロと共に居て下さった主が、私とも共に居て下さるのに…
何が違うんだろう… そんな事を考えながら読んでいて、ふと思いました。
主はパウロと共に居たのです。
パウロも主と共に居たのです。
主は私と共に居て下さいます。
私は主と共に居るだろうか…
私は主の側に立っているだろうか…
そう思った時に、思い出した話があります。
アメリカの南北戦争の時、北軍に有利な戦局となりだした時、
ある人がリンカーン大統領に「我々はもう恐れる必要はありません。神さまが我々の側にいらっしゃいます。」と言い
それを聞いたリンカーンは、
「そうですね。でも、今、我々にとって最も大切なことは、果たして我々が神さまの側にいるかどうかということです。」と答えたそうです。
戦争中であれば、「神さま助けて下さい!!」しか、私の頭からは祈りが出てこない気がします。
戦争の最中であり、相手側に軍配が上がっている時に、
自分はどこに立っているんだろうか…
と考えれるでしょうか。
今の私には無理な様な気がします…
日常に起きる出来事にさえ、疲れを覚え、落胆し、傷つき、主を見失いそうになる時もあるのです。
今から、備えるべき…!!
今から、御言葉を蓄え、どの様な時にも主を見上げ、自分が何処に立っているのか。
自分は今、この瞬間も、主の側に立っているだろうか…とチェックしていきたいです。
今日も、主と共に歩みましょう!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」