しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださったかたのすばらしいみわざを、あなたがたがたが宣べ伝えるたるためなのです。
あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。
Ⅰペテロ2:9-10
先日、自転車がパンクをして自転車屋さんに行きました。
そこに小学校入学前ぐらいの女の子とママさんが、女の子の自転車を選んでいました。
お店の人が対応中だったので、しばらく待っていました。
お店の人が「大丈夫!大丈夫!練習したら乗れるよ!」と女の子に話してるのです。
どうやら、子どもが欲しがってる訳ではなく、ママさんが買ってあげたいと思っている様子。
女の子は「だって絶対に乗れないよ!」と半べそをかいていました。
どうやら、小学生のお兄ちゃんが居てる家族のようで、お兄ちゃんに「お前は絶対に、自転車乗れない!」と言われた様子。
ママさんも「大丈夫。ママと練習したら乗れるよ」と言っても、
「〇〇ちゃんは(女の子のこと)、鉄棒も出来ないし、泳げないし、運動出来ないから」と言うのです。
どうやら、お兄ちゃんにそう言われてしまった様子・・・
お兄ちゃんの言葉がこの女の子の心に入ってしまい、信じてしまったようです・・
大人であっても、こういう事ってありますよね。
・・自分自身についてどう思いますか?
どう評価していますか?
好きですか?
それとも受け入れがたいでしょうか?
自分自身をどう考えるか、自分が考える自分の姿・・「自画像」は凄く重要です。
自分が思う自画像は、自分の人生に大きな影響を与えるからです。
自画像に対して健康的で建設的な思いを持っていると、人生もその影響を受けます。
しかし、自画像が否定的で歪んでいるならば、それも人生に影響を与えてしまうのです。
時々、第三者から見て、何不自由なく幸せそうに見えている人が、自ら命を絶つというニュースを聞きます。
第三者から見て不自由なく幸せに見えるという事は、多分、外から見て分からない所、その人の心や自画像に問題があるのだと思います。
第三者から見た私の自画像が正しい自画像ではなく、自分が思っている自画像も正しいものではないのです。
「真の自画像」があるのです。
それは主がご存知であり、主が与えられたものなのです。
しかし多くの人は、世の中の間違えた価値観、他人の言葉や判断、勝手な想像、思い込みなどを通して、
自分の自画像を作り上げてしまっているのです。
自分の性格や容姿、能力、経験などを考え、歪んでしまった自画像を持っているのです。
これは世の中から得た自画像なのです。
本当の自画像は主から与えられたものです。
間違った自画像を信じ、「自分はこんな人間だから・・」と諦めたり悔しい思いをしたり・・しているのです。
主からの自画像とは、今日の御言葉にあります。
「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった」のです。
私たちの自画像は、否定的ではなく破壊的でもなく、
祝福に満ち、主から与えられた自画像なのです。
私達は、万王の王である神さまから選ばれた人であり、
いつでも神様の御前に行くことができる特権を持つ者(祭司長)であり、
天国の市民権をもっている神様の子なのです。
「え・・自分なんて・・」なんて思わないで下さい。
主が私への自画像として与えて下さっているのです。
「ありがとうございます🥰」と受け取るべきなのです。
今、自分が持っている自画像は、どのようなものですか?
その自画像は、どこから来たものでしょうか。
世から得たものではないでしょうか。
「主よ。あなたが思う私の自画像・・教えて下さい。私がそれを感謝して受け取れますように」と祈る一日となりますように!
主から正しい祝福された自画像を得て下さい!
主が与えて下さった自画像を信じましょう!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」