神さまは不公平?【ヨハネ5:5-7】

2023年

そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。

イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」

病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」

ヨハネ5:5-7

世の中は不公平だと感じた事はありませんか?

もしくは、神さまは不公平だと感じた事はありませんか?

神さまが人を愛して下さるというならば、

どうしてあの人は何の苦労もなく、私の人生はこのように苦労の連続なんだろう・・

多くの人が健康を維持できているのに、私はどうして健康でいれないのだろう。

あの人は生まれた時から、親に恵まれ豊かに過ごし、したい事をして生きている。なのに私は・・・

私もあの人の様なルックスや背丈に恵まれたかった。

私もあのような頭脳やひらめきを持つ人になりたかった。

あの人には、いつも周りに人が集まっているのに、どうして私はいつも1人なんだろう。

今日の聖書の箇所に出てくる、38年間、病にかかっていた人もそのように思っていたのではないでしょうか。

イエスさまが彼を見た時、彼は伏せっていたのです。「誰も私を助けてくれる人はいない」と思い込んでいたのです。

その姿からして、心を閉ざし、人生を諦め、卑屈になっているのが長期にわたっていると感じる姿だったのです。

ヨセフも兄たちに奴隷としてエジプトに売られ、異国で22年苦労しました。

モーセも、出エジプトという大プロジェクトのリーダーとして用いられたにも拘らず、約束の地を目の前にして、入る事は許されませんでした。

そして聖書の中に出てくる人物で一番苦労した人と言えば、ヨブです。

彼は、ある日突然、7人の息子と3人の娘が死に、財産である牛、ロバ、羊、ラクダを奪われ、若い者たち皆、剣で殺されました。ヨブも足の裏から頭の頂まで、悪性の腫瘍に侵されたのです。

こういった苦労は、どうして起こるのでしょうか。

聖書を見ると、主の御業がなされる為。ヨセフのように、苦労があっても「自分の人生は主の計画の一部」なのかもしれません。

モーセの様な偉大なリーダーは、私たちの目から見て小さな不信仰の様でも・・厳しいハードルがあるのかもしれません。

ヨブの様に主に信仰深いと認められる者は、試されたのかもしれません。

理由は分からない事が殆どなのです。

しかし、その苦労が神様から送られたものにしろ、悪の攻撃にしろ、主が許され私たちの身に起きた事です。

という事は、苦労や寂しさ、敗北感、孤独感・・全ての物は「主の計画の一部」なのです。

ヨブは苦労前の人生より、苦労後の人生がもっと祝福されました。(ヨブ42:12)

本当に主に出会った人は、大きく変えられる経験をすることが出来る。

本当に主に出会った人は、新しい人生がスタートするのです。

人よりも苦労したからこそ、

人よりも辛い思いをしたからこそ、悲しい思いをしたからこそ、

1人で涙する時間が長かったからこそ、

主の力強い御力を体験できる。主の臨在を感じる事が出来る。主が今も生きておられるのを感じる事が出来る。

主の恵みが大きいのです。

他の人は知らない、自分だけが知っている主の恵みがあるのです。

神さまは不公平だ・・・と感じるのは、もしかしたらまだ主に出会えていないのかもしれません。

もっともっと、主に出会えるのかもしれません。

もっともっと、深い交わりを主が望まれているのかもしれません。

私たちには、苦労の渦中にいる時は、なかなか主の計画を悟る事が出来ません。過ぎ去って、凄く時間が経ってから気付くのです。

「主のご計画の一部に自分が存在出来た。あの苦労は主が与えて下さった物だ!」と知るのは、もしかしたら死んでからかもしれません。

私たちには、偉大なる主のご計画を悟る事が出来ないのです。

しかし、1つ分かる事は、主は私たちを愛し、良いものを下さる方であるという事です。

私たちの常識や能力では、理解しきれないのです。

主を信じて歩む者は、苦労が祝福に変わります。

一番辛いのは、主を知らない人です。苦労が祝福に変わらないからです。

主を伝える者になりたいです・・・

今日も、主をもっと知る一日となりますように!

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