私には勇気がなく出来ません・・【イザヤ40:28-31】

2023年

あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。

若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

イザヤ40:28-31

先日、久しぶりに以前同じ会社で働いていた同僚(24歳)と長電話をしました。

色々な話をしてる中で、彼女は新しい事にチャレンジしたいけれど勇気が出なくて出来ない。「途中で断念したらどうしよう」「自分には出来ない気がする」「自分に向いているか分からない」・・・

「どうしたら勇気をもって決断出来るのか?」と聞かれました。

電話を切ってから、「そーだよな・・決断はどのようにするんだろう・・」と考えていました。

しばらく思考を巡らせている中、次男との会話がふと思い出されました。

次男は、毎月初めの日曜日に、教会でデボーション用の月刊の本を買います。

いつも購入する日の朝にお金を渡していたのですが、一度、12月分の本代を11月の4週目に渡しました事がありました。

すると・・11月の4週目の礼拝の日、ついつい教会の友達に誘われコンビニへ。来月の本代のお金でジュースやお菓子を買ったことがありました。

それ以降「早めに貰ったら違う事に使ってしまうから、やっぱり、、、本を買う日に本代ちょうだい!」という会話をしたのを思い出しました。

どうして、この場面を思い出したんだろう・・・と思うと同時に分かりました!

「必要なものは必要な時に与えられる」という事です!

 

ペテロは、ニワトリが3度鳴く前に「主を知らない」と言って失敗をしました。

しかし失敗をしたのち、主に「主を裏切ってしまった自分」を許された時、ペテロに御力が与えられました。力強いキリスト者として生まれ変わり、殉教までの道を従えたのです。

失敗をする前に「あなたは殉教する」と言われたら、怖くて信仰を捨てたかもしれません。

エステルも、王に自分はユダヤ人であるという事。王に命をかけた願い出を出来たのは、ユダヤ人が窮地に追い込まれた時、モルデガイの言葉、、、

「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」

という言葉に奮い立たされ、勇気を出し王に会いに行けたのです。

もしエステルが王妃になる前に、この様な民族に関わる大きな局面に立たされるかもしれない・・と分かっていたら、王妃になる事を望まなかったかもしれません。

主に従う勇気、御心を行う勇気、隣人を助ける勇気、人を思いやる勇気、試練に耐える力、嵐の中を歩む力、悪夢の様な日々、孤独に耐えた日々、、、

自分には絶対に出来ない、自分は能力不足、力不足だ。と思っている事も、

主の御力が及べば、勇気がないと思っていた者に勇気が与えられ、不可能が可能になるのです。

主の御力は、必要な時に、必要なものが与えられるのです。

あらかじめ与えられるものではないのかもしれません。

そんな事を黙想しながら、また思い出した事があります。

コーリー・テン・ブームという方です。第二次世界大戦中に多くのユダヤ人をナチスから助けたオランダ人クリスチャンです。

彼女は幼い時に、父親にこの様な疑問を問いかけました。

「パパ。私は主の為に殉教者になれるほどの勇気なんて持っていないわ。」

知恵のある父親は「君が、ハーレムからアムステルダムに汽車で行く予定があったら、そのチケット代はいつあげたらいい? 3週間前かい?」

「パパ。お金は行く時でいいよ。」

「そうだよね。今は必要ないよね。主も同じなんだよ。天の父なる神さまは、君にいつ何が必要なのかご存じなんだ。君が殉教者になる力は今日は必要がないんだ。だけど、主の為に死ぬという栄光を迎える日が来たら、君に必要な力を与えて下さる。必要な時に。」

苦難の日に備え、、、

主が御力を与えて下さる時に、主を信じ、主を選択する事が出来ますように!と祈る必要があるな・・・と感じました。

大切なのは、主に与えられた時、素直に従う心です。

御心のままに私に御力を与えて下さり、私を導いて下さいという心。

今日も主を覚え、主の御力を求めて一日をお過ごしください!

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