私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。
Ⅱペテロ3:18
昔、実家に桜の木の苗木が3本ありました。
植木鉢に植えられていました。
その内2本を韓国に持って行った事があります。
私が結婚する前に、亡くなられているお義父さんのお墓に植えようと思って。
昔、韓国は「土葬」でした。(今は土葬も火葬もあります)山の一部分を平らにして、土葬した部分に土を盛ります。半円の様な形になっています。今はお義父さん一つのお墓しかありません。
時間が経ったら、お義母さん、夫、私、子ども・・と半円の様な土葬が一つずつ増えていくのです。
殺風景な一つのお墓しかない場所に、日本の桜の木を植えたいと思ったからです。
10年20年と経ち、桜の木は大きく成長しました! まだまだ大きくなりそうです。
植物は鉢植えを大きな鉢に植え替えすると、大きく成長します。
鉢を替えると土が増え、土が増えた分、根を大きく張れるから、養分を沢山吸収する事が出来るのです。
鉢から山に植え替えたら、本当にびっくりするほど大きく成長しました。
同じ木だとは思えない・・全く違う木のような姿に成長しました。
大きくなった木を見た時は、「すっごく大きくなったな~」と思ったのですが、実家にある植木鉢の残りの1本の桜を見て、もっと驚きました。
実家にある桜は、時間が経っても大きくは成らず、見るからにひょろひょろとして、雨風が酷くなれば直ぐになぎ倒されそうです。同じ大きさをキープしていました。
同じだけ時間が流れているのに、実家の植木鉢だけ時間が止まったかのような姿のままです。
人間も同じかもしれません。
キリストに根付き、沢山の御言葉や主の導き、心の傷の癒し、人を許す心、主を愛する心、生きる目的、祈れることへの喜び・・
このように生きる道がある事を知らず、キリストの下に根を張らなかったら・・・
「もし自分が・・・イエスさまを信じなかったら、この植木鉢の桜のようだったかも・・」と思いました。
イエスさまを信じるまでは、将来の不安におびえていました。私はいつも一年後の自分を想像できませんでした。
こんなに生きる事が辛いのに・・自分は本当に1年後も生きていけているだろうか・・と思っていました。
鉢の中だけで根を張り、ひょろひょろと成長し、その日その日生きるのがやっとなのです。
主は私を、恐怖の鎖から解き放ち、私を自由にして下さいました。
私をもっと大きく生きることが出来るように、主は今も導かれ「御言葉」と言う養分を与えて下さっています。
自分に頼らず、絶対なる主に信頼して生きることで、平安と喜びを得る事ができるのです。
植木鉢の小さな桜の木を見て、主を知る前、苦しみながら生きていた自分を思い出し、
もう一度、主に感謝しました。
自分の力で生きていく。自分で道を切り開く。
カッコよくも聞こえますが、
必ず限界にぶち当たるのです。
精一杯根を張っても鉢の中だけなのです。
鉢の中だけでグルグルと回るように根を張った人生。
本当はもっともっと大きく根を張って枝や葉、花を沢山咲かせ、鳥を休ませ、鳥が巣を作る事も出来る存在なのに。
暑い日には日陰をつくり、疲れた人を、ひと時だけでも休ませてあげる事も出来るのに・・
今ある場所から、キリストという遥かに大きく肥沃な地に根を張る事ができますように。
日々、主との交わりを通して、しっかりと四方八方に根を張り続ける事ができますように。
主との交わりを通し、これからも日々、根を張り成長していきたいです。
今日も、主から沢山のエネルギーを得て、主を感じる一日をお過ごしください!