主を知っていくって素晴らしい⑥【マタイ22:37-39】

2023年

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

マタイ22:37-39

次男の信仰の記録です。

コロナが始まってから、次男を車で学校まで連れて行っています。道中、一駅違いに住む同級生を乗せています。

次男は随分前から「もうそろそろ電車で行きたい」と言っています。

ガソリンも高騰してるし、私も何度も車での登校を辞めようとしたのですが、一緒に行っている同級生の今置かれている状況もあり、車での登校が続いています。

次男が今、一番興味があるのは教会です。教会でのギターの奉仕が一番充実しているようです。

金曜日、学校終わりに教会へ行き、大人の礼拝に参加し、21-22時に帰ってきます。

土曜日も毎週学校があり、学校終わりに教会へ行き、日曜日のギターの奉仕の練習で子どもたちが集まります。土曜も遅くに帰ってきます。

日曜日は朝の大人の礼拝でもギターの奉仕、午後からの中高生の礼拝でもギターかリードの奉仕。20時過ぎに帰ってきます。

毎週末が充実しており待ち遠しいのです。

そして月曜日の朝になり、一緒に学校に行っている同級生のA君の顔を見る度に「久しぶり~!!」と懐かしそうに言います。

A君にとっては一日ぶりなのですが。

昨日も朝、A君に久しぶりにあったような挨拶をし、「え・・あ、うん。おはよう・・」というA君。

月曜日の朝、登校中の車の中で、次男は自分の充実した楽しい週末の話をします。

「教会の〇〇君が高3で受験生になったといって教会の奉仕出来ないって言う!」から始まり、「みんなエレキの奉仕はしたがるけど、ベースは人気がなくて困ってる」とか。

「オレさー今、やってみたい事が出来たんよ~!」とウキウキと話しています。

次男「教会の賛美でさー韓国語で凄く良い賛美があるわけよ!でも日本語でその賛美はないんだよね~。A君、どうしたら良いと思う?」

A君「え・・?どうしたら・・? 訳す?」

次男「そうなんだよね~!俺は韓国語の賛美を日本語に訳して歌いたい!」「でもさー俺って韓国語まだまだ出来ないからさ~ だからさーA君、手伝ってくれない?」

A君「え?俺が?何で・・?」

次男「何でって韓国語上手いからに決まってる~(笑)」「韓国の賛美って凄く良いんだよな~ 今訳したい賛美が3つあって・・あ、聞いてみる?」

と言いながら私のスマホで検索し、

次男「あ、これこれ!春休みに韓国に行った時に、平日にある賛美礼拝に参加して、その時俺もちょっと映ってるのあるんだわー」「ほら!これ!手を上げて歌ってるの俺(笑)」と動画を見せ、今翻訳したい賛美を流しました。

A君は生まれて初めて聞く賛美の動画をまじまじと見つめ、「え・・・これが賛美??」「賛美の定義ってなに?思ってたのと違う・・」と言いました。

A君の家庭は韓国人夫婦の家庭で、親もA君も一度も教会に行った事がありません。

A君はいつも朝の車の中で、教会の楽しさを次男から聞かされています。

次男「この賛美聞いて韓国語の意味分かる?」

A君「韓国語の意味は分かるけど、多分深い意味が分からない」

次男「それは聖書を読んでないからだわー深い意味は、これから聖書を読めば分かるって!例えば、このフレーズ、なんて訳す?」と

ガンガン話すのです。

次男「俺さーこの賛美を日本語に訳して、夏の教会キャンプで歌いたい! A君も今年の夏キャンプ来て!」と言い、

韓国語の賛美を車の中で熱唱・・(笑)

次男が幼いのか、自分のペースで話したい事を話します。時折、A君に教会の説明をはさみながら。

私は運転しながら・・・「本来伝道ってこんな風にするのかも・・」と思いました。

もし、週末に映画を見て、凄く感動したら、迷わず仲の良い友達に話し、是非見るように勧めます。

「すっごく良かった!絶対に見るべき!!」と熱く語ります。それと同じような感覚で、次男は話すのです。

「こんな事いったら引かれるかも」「ビックリされたらどうしよう」「変に思わないかな・・」と言った心配のかけらが見当たらない、次男が「教会は最高に良い」という思いが伝わる話し方です。

語りたくてたまらない感じ・・・

私は、相手の様子を見ながら話します。それが悪いわけではないとは思いますが、次男の話す姿を見ながら・・・

初めて車で2人を連れて登校していた時を思い出しました。

次男は「A君ってさ、週末何してるの?」

A君「え・・大体家で過ごすか、家族と出掛けたり?」

次男「俺は教会行ってる!教会めっちゃ楽しい!」

A君「教会? 教会ってなに?」という会話をしていました。

A君の中に、少しづつ主が入っていくのが見えます。

私はバックミラーで次男の顔を見ながら

「習慣で教会に通うのではなく、教会で過ごす時間が、一回ずつ次男のように心底感動していたら、話さずにはいられないハズ・・・」

「ああ・・主よ。私もこんなに熱い思いが欲しいです・・」と心で祈りながら学校へ。

私たちはキリストを伝えようとする時に「何をどのように語れば良いのか」と戸惑い、身構えてしまいます。

「どこから話せば良いんだろう・・」って。

どこからでも良いのです。

ちゃんとした説明になってなくても良いのです。

次男の姿を見ながら「教会って良い!」「聖書って素晴らしい!」で良いんだ。自分が感じる主を話せば良いと再確認・・・

こんな話を聞いた事があります。

長く求道生活を送っていた男性がいました。その方が主を信じる決心が出来た聖句があるそうです。

「それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト(創世記6:15)」

この聖句、ノアの箱舟の大きさの聖句です。

現代で言えば「長さ133.2m、幅が22.2m、高さが13.3m」だそうです。

この男性、造船関係の方だったそうです。

船の大きさは、この大きさが一番安定した大きさだそうです。

それを、旧約時代に「この大きさで作りなさい」と言われた方がいると言うのを知り、「聖書は本物だ!」と感じたそうです。

この聖書の個所・・この部分を読んで、どれだけの人が聖書が本物で、主が居られると感じるでしょうか。

目の前の人が、どの様な言葉に心開くか、心に響くかなんて、私たちには分からないのです。

働かれるのは、主の領域です。

私たちの主は、私たちが知恵を絞り説明し説得が必要な方ではないのです。

私が何を話すか・・より、主が望まれているのは、

私が、「主を愛し」、目の前の主を知らないでいる人を「どれ程愛しているか」・・を見られている様に思います。

今日も、主を愛し、自分に与えられた隣人を愛してお過ごしください!

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