そして神の使いが夢の中で私に言われた。『ヤコブよ。』私は『はい』と答えた。
すると御使いは言われた。『目を上げて見よ。群れにかかっている雄やぎはみな、しま毛のもの、ぶち毛のもの、まだら毛のものである。ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。
わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油をそそぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。』」
創世記31:11-13
ヤコブは兄のエサウから、長子の権利を横取りし、母のアドバイスで叔父のラバンの家に身を寄せることになりました。
主は、両親と兄エサウから逃げるように家を出て、ヤコブは一人、叔父ラバンの家に向かいました。
その道中、主がヤコブに約束をされました。
見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。(28:15)
ヤコブは、叔父ラバンの元仕えて過ごしました。
この期間は、主がヤコブに与えられた試練の時間でした。
ヤコブは兄エサウをだまし、調子の権利を奪いました。同じように、叔父ラバンにヤコブは騙されるのです。叔父ラバンの次女ラケルとの結婚する為にヤコブは、ラバンに7年間、仕える約束をしました。
そして、7年後ラケルと結婚できたと思っていたのに、相手は姉のレアだったのです。そして、再び7年仕え、次女のラケルとも結婚しました。
ヤコブは、叔父ラバンに騙され、「主の御心であっても、自分の力や知恵で、主の御心を成就してはいけない。自分が奪い取ってはいけなかった。主の御業がなされるのを待つべきだった」と学んだのではないでしょうか?
結局、ヤコブはラバンの娘二人を嫁にし、20年間ラバンの元で仕えて過ごしたのです。
主は、ヤコブを大いに祝福し、子どもも増え、叔父ラバンと約束した「しま毛、ぶち毛、まだら毛の雄ヤギが増えていくのです。
これを目の当たりにした叔父ラバンと、その息子たちの心は、どうだったでしょうか?
ヤコブの事を良く思わなくなってきました。
その時に、主の約束が成就され、自分の国に帰るように示されたのです。時が満ちたのです。
ヤコブは、2人の嫁と子どもたち、また多くの家畜を連れて国に帰れる日が目の前に来たのです。
・・・ここまで読むと、主の御心は、時間をかけてでも必ず成就されるんだな!と思います。
私たちは、ついつい、ヤコブの立場でこの聖書の部分を読んでいます。
叔父ラバンや、その息子たちの心情はどうだったでしょうか?
甥っ子のヤコブは、実の兄を騙して家に居れなくなり、逃げてきた。それを私が面倒を見てあげた。娘も2人与えた。しま毛、ぶち毛、まだら毛のヤギは、ヤコブに与えると決めたが・・ヤギが子どもを生む度に、雄のしま毛、ぶち毛、まだら毛のヤギが生まれる・・・このままでは、我が家の財産が全てヤコブの物となってしまう。
誰の目にも、ヤコブが主に祝福されているのを感じたのです。
もし、自分が叔父ラバンの立場だったら、どうしたら良いのでしょうか?
自分なりに一生懸命仕事をしているのに、目に見えて自分の財産がヤコブの方へ傾いていくのです。
誰が見ても、面白くないでしょう。息子が怒る気持ちも分かります。
本当のことを言えば、ヤコブが共に働く事によって、叔父ラバンの家が増々豊かになり、ヤコブにも少し良い待遇にしてあげれるような、立場関係であれば、叔父ラバンは幸せだったのではないでしょうか?
その様な状態であれば、叔父ラバンはヤコブを可愛がり、自分が優位に入れる事に満足を覚えれたはずです。
しかし、思いの外、反対の立場に立たされたのです。
もし、私たちが叔父ラバンのような立場に立たされた時、どうしたら良いのでしょうか。
このままの状態では、自分の財産が増々減っていくのが目に見えています。
人は、怒りや反発心など、初めは凄く小さいのです。
叔父ラバンと息子たちが、ヤコブに対して反感を持つ前に、ヤコブはラバンに「国に帰らせて欲しい」と願い出ています。
しかし、「あなたが望む報酬を与える」とヤコブを引き留めたのです。その結果、ヤコブの報酬となる、ブチのヤギ達が増えていったのです。
叔父ラバンは、自分の怒りの火が大きくなる前に、ヤコブを手放すべきです。
小さな火が大きな森を燃やす事が出来るのです。小さな怒りが大きな怒りに変わるのは時間の問題です。
罪の誘惑も同じですが、良くない思いが自分の中で起きた時、その場から離れるべきです。
その場に留まると、誘惑に必ず負けてしまいます。
その場に留まると、悪な思いは増々大きくなるばかりです。
これは、一刻も早く決断し、手放すべきなのです。
罪や誘惑と戦おうとしてはダメです。
聖書って、立場を変えて読むと面白いですよ!
今日も、主の中で平安な一日となりますように。