1 神のみこころにより、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
2 愛する子テモテへ。父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。
3 私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては、先祖以来きよい良心をもって仕えている神に感謝しています。
4 私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。
Ⅱテモテ1:1-4
テモテへの手紙は、数多いパウロの手紙の中で最後に書かれた手紙です。
この手紙は、パウロがローマで捕えられ、ローマの地下牢に入れられた時に書かれた様です。
この時の牢屋と言うのは、岩を掘ったような所で、全く陽の光が入らない劣悪な環境だと言われています。
そしてパウロはいつ死刑にされるか分からない状態の中で書かれたそうです。
最後となった手紙は、エペソの教会で牧会していたテモテ送られた手紙です。
テモテとは、パウロの第二回の伝道旅行から共に弟子として同行していた人で、エペソ教会の指導責任者でした。
今日の聖書の箇所は、そのテモテへ宛てた手紙の始まりの部分です。
パウロの置かれた状態を知らないで、このテモテの手紙を読んだら・・・どうですか?
まさか獄中から、死刑が迫っている人が書かれた手紙だと想像も付かないと思います。
始まりの1節を読むと、パウロは、揺るがない使命を持っていたことが分かります。
テモテが牧会で疲れ果てているのを知っていて、テモテにまず「平安があるように」と書かれています。
3節を読むと「私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては・・」とあります。
ビックリしませんか?
普通であれば、自分が、罪がなにのに牢獄に入れられ、死刑が迫っている状態であれば、まず何をしますか?
誰かに助けてもらえるよう、手を尽くすと思います。
今の時代で言うなら、有能な弁護士さんを探しませんか?
パウロは、自分の弁明をする人を探すのでもなく、
自分のこの状態を手紙で訴え、皆に祈りの要請をするのでもなく・・・
夜も昼も、祈りの中でテモテを絶えず思い起こしていたのです。
私なら、「どうか助けて下さい」と、自分の祈りを1日中すると思います。
パウロは、自分の死を前にしても、テモテを思い、祈っていたのです。
これってどういう事でしょうか?
人生で言えば、パウロはギリギリの所にいたはずです。
多くの人にとって一番の問題は「死」だと思います。
パウロは諦めていたのでしょうか? 自暴自棄だったのでしょうか?
もしそうであれば、このような素晴らしい励ましの手紙の内容にはなっていないハズです。
このように劣悪な環境の中に身を置くことを強いられ、死を前にして・・・
パウロはこの状況を変えることは出来ませんでした。状況を選択できる状態ではなかったのです。
今ある状況は変わらなくても、「心の在り方」は自分で選べるのです。
今ある状況は変わらなくても、「主に対する信仰」は自分で選べるのです。
今ある状況は変わらなくても、パウロは「感謝すること」を選びました。
今ある状況はかわらなくとも、パウロは「人のために祈る事」を選びました。
自分を取り巻く状況は変える事は出来なくても、心の在り方は自分で選べるという事です。
私を含め、多くの人は、自分の今の心の状態は、自分を取り巻いている状況によるものだと思いがちです。
生まれた環境、両親を選べない、良い友達に出会えなかった、いじめられた、経済的に恵まれなかった、身体が弱い、、、
私たちは、自分を取り巻く色々な環境、状況を正当な理由だとし、怒り、嘆き、文句を言っているのかもしれません・・・
パウロはピリピの手紙でこのようにも書いてあります。
私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。(ピリピ4:11-12)
この様な信仰者になりたいですね!!
どの様な境遇にあっても満ち足りる事ができる・・・あらゆる境遇に対処できる・・・
どの様な状況であっても、感謝を選び取る者となりたいです。
今日は、感謝を選び取る一日となりますように!