無気力になり、虚しく感じる日・・【伝道者の書1:1-3】

2022年

エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。

伝道者の書1:1-3

何となく、やる気が出ず、無気力になる日ってありますか?

私は時々あります。

特に何か問題が生じた訳でもなく、体調が悪いわけでもなく、何となく全てが面倒に感じたり、無意味に感じたり。

何か、糸がポツと切れた凧のよう・・・

昨日まで・・普通だったのに。何だろう。この虚しさ。この人生がいつまで続くんだろう、この世界がいつまで続くんだろう・・

そしてこのような時に、頭に浮かぶ御言葉は・・

「空の空。すべては空。」

これを書いたのはソロモン王。晩年のソロモンが書いたようです。

ソロモンは、イスラエルの黄金時代を築いた名君。

知性、権力、名誉、この世の快楽、財産、人がうらやむものをすべて手にしていました。それでも、ソロモンの心は満たされなかった・・

ソロモンの様な人でさえ「空の空」だと言うのです。

人間の人生に必要なものは全て持っていたかの様な人でした。

なのに、どうしてでしょうか?

 

ソロモンが辿った道、ソロモンの人生にヒントがあるように思います。

ソロモンは、若くして王になり、そして主に何が欲しいかと尋ねられ、「人々をきちんとさばくことができるように知恵を与えて欲しい」と願いました。主はその願いを聞き入れ、加えて富と名声をお与えになりました。

彼の知恵は海のように広くなり、金を石ころのように使うほど豊かなりました。

周囲の国々を治め、古代イスラエルは強大になりました。

けれども、周囲の国々と平和を保つために、その国々の王の娘など、多くの妻を持ちました。

ソロモンの生涯に、妻がどれ程いたか知っていますか?

700人の妻と、300人のそばめ・・・💦

ソロモンは晩年、心が転じて、妻たちが持ち込んできた偶像礼拝を許し、自らも拝むようになってしまいました。

ソロモン程の人が、どうして信仰の道を走り切らなかったのでしょうか。

ソロモンは、「世の思い煩い」に陥ったのです。

ソロモンは主を本当に愛していました。

しかし、いつの間にか、ソロモン本人さえも気付かないうちに、財産、権力、女性など、この世の思い煩いが、心に入り込んでしまったのです。

ソロモンは人生の最後まで主への愛、主への信仰を持ち続ける事ができませんでした。

イスラエルの全盛期を築いたのもソロモン。イスラエルの分裂を招いたのもソロモンなのです。

私たちも「主を愛します」と言いながら・・・

いつの間にか信仰生活に疲れが生じてきたり、虚無感に襲われたり、初めに主を信じた時の喜びがどこかに行ってしまった様に感じる事はありませんか?

その原因は、ソロモンと同じように、この世を見続けたからだと思います。

この世で起こっていることをじっくりと見続け、そして世の中の出来事に理不尽や不条理などを感じ、

世の中で起きている事柄が、「必然的な根拠の不在」を感じ、すべては偶然に、運や宿命などに基づいているのではないか、という疑いが少しづつ生じてしまうのです。

ソロモンには誰にも勝る知恵がありました。

その知恵を持って世の中をじっくり見たのです。

今日の御言葉の箇所には、

「日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう」とあります。

ソロモンは「日の下」と書いています。

日の下とは、この世の中、地上を意味します。

知恵のあるソロモンには、問題が次から次へと提示されるのです。隣国からもソロモンの知恵を確かめに来るのです。

いつの間にか、自分の知恵が上から与えられたと忘れ、上を見上げる事を忘れたのです。

晩年のソロモンは、上を見上げる事を忘れ、世だけを見てしまったのです。

その結果、伝道者の書は、晩年のソロモンの苦しみを吐露した思いが綴られているのです。

主と私たちを引き離すもの・・

それらは音を立てずに、気付かないうちに私たちに近寄って来るのです。

無気力になってしまう日、やる気が起きない日、全てが面倒になってしまう日・・・

主のサインだと思います。

「あなたは今、何処を見ているのか」という主からの問いかけのように感じます。

私たちが主に感じた初めの愛・・・

その愛はなくなる事はないのです。

私たちが上を見上げず、他を見つめてしまっているから、そう感じるのです。

今日は、もう一度、主に立ち返りたいと思います。

今日、主をもう一度見上げ、信仰がリフレッシュされる日となりますように!!

タイトルとURLをコピーしました