負の連鎖に陥らない秘訣【ピリピ4:10-14】

2022年

10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。

11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。

ピリピ4:10-14

 

平成のベストセラー本、渡辺和子さんの著書「置かれた場所で咲きなさい」という本を読まれたことはありますか?
 花は植えられる場所を選ぶことが出来ません。そこが嫌だからと言って他の場所に移ることも出来ません。ただ、神様に与えられた場所で精いっぱいの花を咲かせるだけです。でも、それは神様がそこが良いと植えられた場所なのです。
 私たちも生まれる場所や境遇を選ぶことができません。 主が意味をもってそこに私たちを植えておられるのだと知る時、ここが嫌だと嘆く人生から、「今ここに植えられているのには意味がある!この与えられた境遇の中でどう生きていくのか?どのように花を咲かせようか?」と考え方が変わっていきます。
 このピリピの手紙はパウロが、牢獄の中からピリピの教会の人々に宛てて書かれた手紙です。
このパウロは、この手紙が獄中で書かれたにも関わらず16回もの「喜び」「喜ぶ」という語を使っています。パウロは、困難な状況にあっても希望を失わず、喜びをもって歩める秘訣が神様の導きのうちに示されているのを感じていました。
10節の御言葉は、パウロがピリピの教会へ宣教支援の献金への感謝が記されています。ピリピの教会は、以前は熱い信仰をもって、熱心にパウロの宣教を支援してきましたが、教会内の派閥など沢山の問題を抱えていました。 自分たちの問題で一杯一杯な状態に陥ってしまったのです。困っている人や苦しむ人、また伝道に対して、「今はそれどころではない」状態へと思考が低迷してしまったのです。
これは、私たちも凄く気を付けないといけない点です。 大きな問題にぶち当たった時、「まず自分の問題が解決してから、他の人を助けよう」と思ってしまいがちです。
結局、ピリピの教会は、自分たちの問題だけに集中してしまい、教会内部の問題は「負の連鎖・負のスパイラル」に陥りました。
ピリピの教会が低迷した一番の問題は、「主に信頼し人を愛し主の御心を実践していくという信仰を失ってしまった」という点です。

 

しかし、多くの人の祈りと励ましにより、ピリピの教会の人々の信仰生活の歩みを取り戻しつつありました。パウロはそれを知って喜び、手紙を書いたのです。(10節)

私たちは苦しくなると、自分のことしか見えなくなります。 自分とその家族位までしか、関心を持てなくなります。 しかし、それは不信仰への直行便です。
子どもが小さい時に怪我をしました。泣く子を抱えて病院へ行きました。自分の血を見て子どもは泣いて痛がりました。
その時、私たちの目の前に急患が運ばれたのです。事故で大けがをされていました。見るからに大変そうな怪我を負っていました。 私も子どもも息を飲みました。「うわ・・大変! この方、大丈夫かな・・」と思ったのです。
驚いたことに、子どもの涙は止まり、目の前の大けがの人を心配していました。私も自分の子の怪我を心配し、心が慌てていましたが、目の前の方の怪我に気を取られ、2人してしばらく静かに座っていました。
本当に不思議です。 人間は自分の痛いところをずっと見つめていると本当に痛いのです。たまらなく痛くなり、不安にもなります。 でも、周りにもっと苦しんで痛んでいる人がいて、その人のことを心配するとなぜか自分の痛みが和らぐのです。

自分の事ばかり考え、自分を心配してばかりだと、かえって苦しくなるのです。

でも、他の人を心配し他の人を思いやる時に、自身の苦しみが和らぐのです。

 

自分が困難の中にある時、苦しい時、辛い時、寂しい時、、、、

自分の問題だけに集中せず、周りの人に目を向けましょう。(もちろん、自分より不幸な人を探して自分を慰めるという意味ではないです。)

自分に集中するという事は、不信仰に陥ってしまうのです。負のスパイラルに巻かれてしまうのです。

問題がある時こそ、隣人を思いやる信仰を持ちましょう!

タイトルとURLをコピーしました