甘柿と渋柿の話【マタイ7:15-17】

2022年

 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやってくるが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。

マタイ7:15-17

 

こんな話を聞きました。

「甘柿」と「渋柿」の話です。

甘柿がなる木、渋柿がなる木、両方とも、木も柿の実も、見た目はよく似ているそうです。

しかし、完全に味が違うのです。

実は、柿はもともと、渋い味の「渋柿」しかなかったそうです。昔はアルコール漬けして甘くしたり、完熟させることで少し甘い柿にしていたそうです。

しかし、この渋柿が突然変異した種類があり、木になっている状態で熟すると甘くなる柿があるそうです。甘くすることが必要な柿を「渋柿」、最初から甘い柿を「甘柿」と呼んでいるそうです。

そして、渋柿の種類に従って手を加え、甘い柿にしているそうです。

驚くことに、手を加えた渋柿が、甘柿より甘くなる柿もあるそうです。

 

この話を聞いた時、キリスト教と似てるなと思いました。

元々は罪人だった私たちは「渋柿」です。

ある日、突然変異し、人が手を加えなくても甘柿になったというのは、キリストの十字架により、私たちは罪赦され、清く、「甘柿」の様になったのです。

渋柿は手を施すことによって甘柿に変わります。何もしなければ渋柿のままです。

私たちも主によって罪赦され、癒されて甘柿へと変わっていくのです。

大きな変化を体験した人は、普通の甘柿より、遥かに甘い柿へと生まれ変わることが出来るのです。

 

また、この様にも考える事が出来ます。

ある木には渋柿がなり、ある木には甘柿がなります。2つの木は似たような木です。パッと見、区別がつきにくいです。 しかし味が異なりすぎるのです。その理由は、木が持っている性質です。渋柿の性質を持っている木には渋柿が、甘柿の性質を持っている木には甘柿がなるのです。

私たちの人生もこれと同じで、心の中に好ましくない性質があれば、言動にも影響が起こります。好ましくない言動として現われてしまうのです。それとは逆に、心の中に好ましい性質があれば、外に出てくるのは好ましい行為です。

私たちはキリストの十字架の死により、罪赦され、清い性質に変られるのです。

ですから、私たちはキリストに変えられた者として、言動にもそれを現す必要があります。

 

今日の御言葉にもあるように、私たちが結ぶ実によってその性質が分かるのです。

御言葉通り、偽預言者も、本当の預言者も、見た目は似ているのかもしれません。

しかし結ぶ実で、本物か偽物かを見極める事が出来るのです。

キリスト者として良い実を結びたいです!

タイトルとURLをコピーしました