5つのパンと2匹の魚。余った12籠の意味【ヨハネ6:12-13】

2022年

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」

彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れと、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

ヨハネ6:12-13

 

5つのパンと2匹の魚の話です。

男の人だけで5000人いたと聖書に書いてあります。

皆が十分に食べたのち、余ったものを集めると12籠あったと書いてあります。

 

聖書には「12」という数字が何度も出てきます。

ヤコブには12人の息子がいて、彼らはイスラエルの12の部族の父親になりました。イエス様は弟子を12人選びました。ユダの裏切りの後、弟子は11人になりましたが、一人補充して12人にしています。その他にも「12」と言う数字が度々出てきます。主にとって「12」は意味がある数字の様です。12という数字を権威と完璧さを表すものと解釈する人もいます。

 

イエス様の話を聞くために集まった者は、少なくとも1万人以上居たわけです。

5つのパンと2匹の魚から、皆が十分に食べて、残ったものが12籠。どうしてわざわざ余らせたのでしょうか?

僅かなものから驚くほどの人々のお腹を満たし、それだけでなく十分に余らせたのです。

この話を読むと、「主の手段は無限で資源が尽きる事がない」と思いませんか?

 

私たちの頭で思いつく方法を遥かに超えた方法で、人々の望みを満たしたのです。

ピリポは、頭が良く計算が早いのでしょうか。イエス様に「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」と話しています。

誰もが5つのパンと2匹の魚が5000人を満たすことが出来るとは想像すらできませんでした。

しかし、主にはそれは容易いことでした。

私たちが求める以上の恵みを下さったのです。主の能力は私たちが求める以上のものを与える事ができるのです。

 

これは、「求めなさい。そうすれば与えられます。(マタイ7:7)」とあるように

主に求めれば、主の無限な手段を用いてそれを与えて下さるのです。想像を超えたものも与える事が出来るお方なのです。

ですから、私たちは主に求めるべきなのです。

具体的に祈るのです。祈れば祈るほど与えられるものが多くなります。

主は、求めるものに対して十分に与えた上で、まだ12籠も与えようと準備される方なのですから。

こんな事まで祈って良いのか? これは私の欲だから・・・なんて考える前に祈ってみましょう。欲であっても主が良しとされれば与えられるのですから・・・

祈りが聞かれるのに時間がかかるように思います。

だから、私は前もって祈り始めるようにしています(笑)

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