全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。
イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。
なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」民数記14:1-3
韓国の歴史ドラマを見ていると、
決まって牢獄の場面がでてきます。
敵の策略にはめられ、
無実の罪で捕らえられた人が、牢獄の中から叫ぶ場面。
「出してくれ! 私は罠にはめられたんだ!」
必死に無実を訴え、ここから出してくれと懇願する。
ところが、翌日になって看守がやって来て、
「出ろ!」と言うと、今度は抵抗する。
「何をする! 離せ!」
あんなに出してくれと叫んでいたのに、
いざ出られるとなると、出ることを拒み、牢獄に留まろうとする(笑)
もちろん、外に出たら処刑されるのかもしれない。
拷問が待っているのかもしれない…。
牢獄から出た先が分からず、怖くて抵抗するんだと思います。
私は、何年も前から、この場面を見るたびに、
何か引っ掛かるものを感じていたのです。
何だろう。
考えてみると、これは牢獄の場面だけの話ではないのかもしれない…。
私たちは、今の状況から抜け出したいと思うことがある。
今の仕事を辞めたい。
今の苦しい状況を変えたい。
もっと自由になりたい。
けれど、いざ変わることが現実になると、不安になったりする💦
今より悪くなったらどうしよう。
新しい環境でうまくやっていけるだろうか。
このままのほうが、まだ安心なのではないか。
そうして、変わりたいと願いながら、変わることを恐れるのです。
…人は、いったい何を求めているのだろう…。
牢獄にいる人が本当に求めているのは、
ただ牢獄の外に出ることではないはず…。
安全に生きること。
無実を認めてもらうこと。
自由に生きること。
つまり、牢獄から出ることそのものが目的なのではなく、
その先にあるものを求めているはず。
だからこそ、外に出ることが危険を意味するなら、
捕らえられた人々は抵抗という反応を見せるのです。
そう考えると、彼らの行動は矛盾しているようで、
実は矛盾していないのかもしれない。
そんな事を考えながら、
思い出したのは「出エジプト」の話。
エジプトで奴隷として苦しんでいたイスラエルの民は、
主によってエジプトから救い出されました。
しかし、荒野で食べ物がなくなると、
彼らはエジプトでの生活を懐かしみ、
あの場所で死んでいたほうが良かったとまで言う💦
奴隷としての苦しみから解放されることを願っていたはずなのに、
自由になった先で困難に直面すると、
かつての生活に戻りたいと思う💦
彼らは自由を望んでいなかったのか…?
そうではないはず。
ただ、自由になった先に、
これまでとは違う苦しみが待っていたという事実。
エジプトでの慣れ親しんだ苦しみと、
エジプトから出た後の「先の見えない不安」。
人は、時に前者を選ぼうとする…💦
今までの生活が苦しかったとしても、
少なくとも、その苦しみには慣れている…。
もしかしたら、私たちが変化を恐れるのは、
単に勇気がないからではなく…
自分が何を失うのかは分かっていても、
何を得られるのかは分からない。
だから、今の苦しみから離れたいと願いながら、
その一歩を踏み出せない…。
これは単なる矛盾ではないような気がする…。
自由を求めながら、自由を恐れる。
変化を望みながら、変化を拒む。
救いを求めながら、救いの先にある未知の世界におびえる。
人は、苦しいと分かっている場所よりも、
何が起こるか分からない場所のほうが怖いのかもしれない。
今までの苦しみは、少なくとも知っている苦しみ。
けれど、その先に何が待っているのかは分からない。
だから、今の状況から抜け出したいと願いながら
その一歩を踏み出すことができないのかも…。
そんなことを考えていたら、
ふと、自分の信仰についても考えさせられた。
私は、主に助けを求める時、
本当に主に委ねているのだろうか。
「主よ、導いて下さい」と祈りながら、
心のどこかでは、
「どうか、私の願う通りに導いて下さい」
と願っているのではないだろうか。
自分が思い描いていた道。
自分が望んでいた答え
自分が安心できる未来。
そんなものを期待しながら、
それを主の導きだと思いたいのではないだろうか。
けれど、もし主が私の想像していなかった道へ導かれたら…。
その先に何があるのか分からなくても、
私は主を信頼して歩んでいけるだろうか。
主に導いてほしいと願いながら。
本当は、自分が先の見通せる道を歩きたいだけの様な気がする。
そう考えると、あの牢獄の場面は。
私の姿かも…💦
牢獄から出たいと叫びながら、
いざ外へ出ることを求められると、恐れてしまう人。
その姿は、もしかしたら、
主に導いてほしいと祈りながら、
その導きの先にある未知のものを恐れている
私自身の姿なのかもしれない…。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)
