なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。へブル12:10-11
よく人に聞かれる事があります。
「どうして自分の人生にこんな事が起こったんだろう?」
「神さまは、私に良いものを与えてくれるのではないのか?なのに…どうして?」
私も何度も何度も、思った事があります。
どうしてでしょうか。
私たちの幸せを願ってくれている主は、どうして試練を与えるのでしょうか。
もし、その試練が主からのものでなかったにしろ、
主が赦さないとその試練は私たちには起こらないはず…
どうしてだろう…
まず、考えられるのは、
私たちは今、
エデンの園で住んでいないからです。
悪に満ちた世界で生きているのです。
ですから、人を傷つけたり、盗みや嘘、性的堕落、殺人…
沢山の罪が横行している世の中に住んでいるのです。
私たちは、もともとエデンの園で住むように造られたのです。
魚は海の中で生きます。海仕様の身体なのです。
私たちはもともと、エデン仕様の身体なのです。
魚が陸では生きられず、水槽で生きれたとしても、自然の環境に比べれば、ストレスがあります。
…という事は、
この世で生きにくい…と感じる事は
「正常」だと思います。
生きにくい… 辛く悲しい事が多い、
肉体的にも精神的にも限界。
生きる事に疲れを覚えるのは、もともとの生きる場所ではないからだと思います。
そして、もう1つ分かる事は、
子育てと同じです。
大人は子どもに、早く寝なさい。起きたら歯磨き。
人に会ったら挨拶。お礼は必ず言う。
好き嫌いしない。ゲームばかりしない。
ケンカをしたら謝る。友達とは仲良くする。
数々の色々な事を教えます。
子どもにとっては、うるさいかもしれません。
好きなだけゲームもYouTubeも見たいのです。
学校も行きたい時だけ行けたら最高かもしれません。
野菜は食べず、お菓子とジュースで生きて行きたい。
もし、子どもが望む通りにさせたらどうでしょうか。
子どもがしたい通りに生きるのです。
その子どもは幸せになるでしょうか。
不健康に育つでしょうし、
我慢する事が出来ない子になるのです。
人間関係において、
親のしつけがある子どもと比べたら、
何もかも自由にさせた子どもは、
ストレスを多く感じるのではないでしょうか。
自分の思う通りにいかないと、全てがストレスになるのです。
自分中心の子どもに、慕ってくれる友達ができるでしょうか。
しつけは、子どもが良い大人になる為に、教えるものです。
子どもにとって耳障りな大人の声は、
子どもの幸せを願っている事が多いのです。(親も人間なので、全てがそうではない場合もありますが)
主も同じななのです。
私たちにもっと自由に与える為に。
こんなにも大きな困難が襲って来ても、
あなたには助け主の主が共に居られると教える為にです。
「どうして自分の人生にこんな事が起こったんだろう?」
「神さまは、私に良いものを与えてくれるのではないのか?なのに…どうして?」
この様に感じる私たちの思いは、
子どもが「自分の好き勝手にさせてくれ」と言っているのと、同じかもしれません。
もし親子の関係が良くなかったら、
親が子どもに口を挟む度に「うるさい…自由にさせてくれない…」と
親に対して鬱陶しく感じ、ストレスしかないのです。
しかし親子の関係が良好で、子どもが「親は自分の為に言ってくれている」という事が理解出来れば、
ストレスは最小限となり、素直に親の話す事に耳を傾けれると思います。
私たちも同じ…
主と自分の関係により、
自分にやって来る試練は、不平不満で「神がいるならどうして…」と失望してしまうのです。
しかし、主との関係が良好であれば、
そこから何かを学ぼうとするのではないでしょうか。
「主の計画(御心)は何だろう…」と考えれると思います。
試練は、私も嫌です。
できれば避けて通りたい…
しかし、試練を通して、私たちはもっと主を感じれるものだと思います。
辛い試練…
今日の御言葉を見ると、これらは主が与えた「訓練」だと分かります。
主の訓練を、
不平不満を口にして時間を過ごすのか、
主の御業を経験できる機会とするのか…大きな差があります。
今日も、主との関係を深める一日となりますように!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)