祈りが聞かれているかもしれません…【使徒12:13-15】

2023年

彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が対応に出て来た。

ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。

彼らは、「あなたは気が狂っているのだ」と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ」と言っていた。

使徒12:13-15

今日、祈りの最中に、今日の御言葉の聖書の箇所を思い出しました。

使徒の働き12章の話です。

ヘロデ王はキリスト教を迫害しようと、ヤコブを捕まえ殺しました。

そしてその手がペテロにまで及んだのです。

ペテロの命の危険性を知った教会員は、ペテロが無事に解放されるよう熱心に祈ったのです。

ペテロは二本の鎖に繋がれ、2人の兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちの監視。

すると御使いが現われペテロのわき腹を叩いて起こし、ペテロの手から鎖が落ちたのです。

そして御使いは「帯を締めて、靴をはき、上着を着て私に付いて着なさい」と言ったのです。

町に通じる門はひとりでに開き、外に出れたのです。

そしてペテロは、皆が集まり祈っている家に行ったのです。

ペテロの声が戸口から聞こえるのを聞いた女中のロダは、ペテロが生きて帰って来た事を喜び、皆に知らせました。

しかし、それを聞いた人達は、ロダに対して「あなたは気が狂っているのだ」「それは彼の御使いだ」と言ったのです。

よく読んだら、ちょっと可笑しいですよね。

ペテロが無事に帰って来ることを熱心に祈っていたのです。

でも実際に「ペテロが帰って来た!!」という知らせを聞くと、信じないのです。

本当に帰って来たんだよ!!と言うと、「それはペテロの御使いだよ」と答えたのを見ると、

解放を切に求めながらも、どこか諦めていたのかもしれせん。

「主を、完全に信じ切れなていなかった」という事が分かります。

私の祈りの中にもあるかも…と思いました。

熱心に期待しながら祈り…でもどこかで諦めてしまっている…

そいう言った矛盾した祈りを捧げている様に思います。

また、ペテロは御使いに導かれ脱出できたのですが、

御使いに導かれている道中は、現実の事だと、受け止め切れずに、幻を見ているのだと思っていました。

そしてペテロが無事に外に出た時、御使いがペテロから離れて初めて「主が御使いを送り、救い出して下さった」と気付いたのです。

寝ている時に御使いに起こされたら、びっくりして飛び起きそうじゃないですか?

指示されたように服を着て、御使いの後を付いて行きながら、現実ではなく幻だと思ったのです。

どうして現実だと思わなかったのでしょうか。

主が霊の目を脱出後に開かれたのかもしれませんが…

御使いの導き方も面白いように思います。

「さあ!!早く起きなさい!急いで私について来るのです。振り返ってはダメ!」位の事を言えば、

もっと緊急性や危機感があり、しっかり目が開いたかもしれません。

まず、帯を締め、靴をはき、上着を着て…

何か時間的にも精神的にも、余裕があります。

何となく想像していた、期待していた方法での導きではなかったからではないかと思います。

突然、大きな地震が起こり、もしくは雷が直撃し、鎖が外れ、命からがら何とか脱出できる…というような事を、

無意識的にでも想像していたのではないか…と思いました。

ナアマン将軍のらい病も、エリシャ預言者に「ヨルダン川で七回身を洗うように」と言付けされた事に、納得できませんでした。

ナアマン将軍の頭の中では、エリシャ預言者が患部に手を当て、大声で主の名を呼び、癒しの祈りをしてこそ、癒される感があるのです。

癒しとは…このように行うのだろうという自分が望む方法があるのです。

ヤコブにもあったのではないかと思います。

ヤコブの解放を祈っていた人々にも、解放のストーリーを持っていたのではないかと思います。

あまりにも短時間に祈りが聞かれ…

もっと劇的に、命からがらペテロが逃げてきたら、臨場感が溢れ、直ぐに現実だと受け止めれたのかもしれません。

祈りに答えられても、気付かない事があり得るという事です!

自分のストーリーがあればあるほど、それに当てはまらない方法で答えられると、

「それは違う!」と判断しているかもしれません💦

自分の我や欲を捨て、主の恵みを受け取り損なわないようにしたいものです…

心を空にして祈ろう…と思いました。

今宵も、主と共に良い時間をお過ごしください!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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