乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
ピリピ4:11-13
私は「ピリピ人への手紙」が好きです。
この手紙もパウロが書いたものです。
今日の御言葉・・「どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」
これは簡単なことではないと思います。
この手紙も、パウロが牢獄に入れられていた時に書いたものです。
どの様な牢獄なのかは聖書に書いていませんが「汚く、暗く、異臭、非常に不快で耐えがたい劣悪な環境」「死刑囚を多く入れる牢獄」だったと聞いた事があります。
そのような環境の中に身を置くことを虐げられているにも関わらず、パウロはこの手紙を書いたのです。
特に、このピリピの手紙は「最も幸せに満ちた書」とも言われています。
感謝(1:3)、望み(1:20)、主への信頼(2:19)が記されているのです。
私たちは、パウロのように冤罪で牢獄に入れられるような事はまずありません。
しかし、現代を生きる私たちも、困難や試練ががんじがらめになって、非常に苦しい中を通らされることがあります。
孤独やいじめ、病、経済的問題、心の傷、不安、死・・
私たちを苦しめる問題は誰にでも起こる事であり、経験する事です。
パウロはどうして、耐えがたい環境の中に虐げられても、後世がこの手紙を読んだ時「最も幸せに満ちた書」だと感じる事が出来る手紙を書くことが出来たのでしょうか。
凄く不思議です。
私も私なりに、色々と経験しました。
辛く苦しい時間を長く過ごしました。
今、自分の人生を振り返って「全てが益とされた」のを感じます。
主は、全てを益として下さる神さまであると告白できます。
しかしそれは、「今」、自分の人生を振り返って思えることです。
渦中の自分は、苦しく、生きている事が辛いだけでした。
辛いだけで、自分が今生きているのか、死んでいるのか分からない状態が長年続いていました。
もし、今、困難な渦中に身を置かされたら・・
パウロのように感謝と望み、信頼、喜び、主への信仰で心を一杯に満たし、それをパウロのように人を励ます事が出来るでしょうか。
どうして私の信仰は、揺れ動くのでしょうか。
パウロは主を信じていました。
私も主を信じています。
パウロと私・・何が違うのでしょうか。
私は、パウロのように、自分がどんな境遇にあっても満ち足りる事が出来るかどうか、自信がありません・・
私には環境に左右される信仰しかないのです。
パウロは・・「私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」と言っています。
パウロはこの手紙の中で「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」と言っています。
そうすれば・・・人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれると言っています。
人の全ての考えにまさる神・・
人知を超えた、
人が想像もできない方法で・・
主の平安が与えられ、主に守られるのです。
聖霊さまに満たされ、思い煩いを捨て、あらゆる場合に感謝から始める・・
パウロと私の信仰の差は、
聖霊さまと感謝だと思います。
私の中に聖霊の信仰が入ってくれば・・
思いが変わり、考え方、日々の生活、祈り方が変えられていくのです。
置かれた環境、虐げられた環境によって「自分がある」のではなく、
主の恵みと、聖霊の力が溢れた「自分がある」状態になるのだと思います。
環境に左右されない人生・・・
キリストにより「人生最悪の時」を「最高に幸せな時」に出来るという事です。
環境に左右されない信仰、弱い時ほど強くなれる信仰が与えられるように・・
聖霊さまに満たされた信仰を持てるように祈ります。
今日、聖霊さまに満たされる経験をする一日となりますように!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」