「知っている」と「知らない」の大きな差【イザヤ55:6-8】

2023年

主を求めよ。お会いできる間に、近くおられるうちに、呼び求めよ。

悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―

イザヤ55:6-8

この6月から看護助手としてパートで働いています。(週2日だけ)

先日、幼児の女の子が救急搬送される所を偶然通りかかり見ました。

幼い女の子は血だらけで、パニックを起こしていました。

事故ではなく怪我をしたようです。

自分に何が起こったのか分からない女の子は必死に「ママ! ママ!」と叫んでいました。

ママさんも血だらけの子どもの姿に驚きパニックです。

看護師さんが「お母さん、しっかりして下さい!」と言われていました。

額を切ったのか、看護師さんが止血をしているので頭を押さえ「お母さんはここでお待ちください!」と言っていました。

女の子は増々、不安になったようで「嫌!嫌!」と叫びながらママのもとに行こうと暴れるのです。

ママさんは泣き崩れ、横で看護師さんが説明をされている姿を見ました。

一瞬の光景・・

うちの長男も幼児の時に額を怪我したことがあり、大量の血を流し、長男も私もパニックで病院に行った事があります。

額は思いの外、小さな怪我であっても凄く血が出るのです。

しかし、それを知らない場合、驚き不安に陥ると思います。

ママさんも女の子も不安だろうな・・と思い祈りつつ、その場を離れ自分の場所に戻りました。

そして数時間経って、また偶然そのママさんを見かけました。

入院手続きをする為に待っている様で、少し落ち着いた様子でした。

「大丈夫ですか? 驚かれましたよね」と声を掛けました。搬送される時に見かけて気になっていたと話をしました。

ママさんは、念の為の1泊入院だと話され、一旦落ち着いたものの・・その姿に心労を感じました。

医師からも額は凄く血が出やすいという説明を聞いたようで、「そんな事知らなくって、ただただ驚いてどうすれば良いのか分からなかった・・」と。

そのママさんと話し終えてから、帰宅する道中・・

そうだよな~・・知らないと血が溢れるのをみてパニックにしかならないよな・・と思いつつ、

確かに・・私たちクリスチャンも、主を知らないと目の前の出来事にパニックになるな・・と思い。

女の子は、自分の身に何が起こったのか分からずパニック。

そして一番信用できるママを呼び叫ぶ。

でも本当は、何も出来ないママに頼るのではなく、処置を出来る医師や看護師に頼るのが一番。

でも幼いという事もあり、状況が把握できずに、ひたすら泣き叫けび、知らない大人たちが本当は自分を助けてくる人だと分からず拒否してしまう・・

ママさんも自分の子どもの姿を見て、どうしていいか分からずパニックになる。

私たちと神さまの関係のように見えました。

目の前に困難が降りかかったら、パニックです。

この幼児のように、血が噴き出ていたらその出来事に心が奪われ、泣き叫び、今、頼るべき人の見わけが出来ないのです。

ママさんも、子どもの姿に心が奪われ、泣き崩れるしか出来ないのです。

もしも、自分の子どもが一度、額を切った事があれば、「止血しないと!」と、一瞬で判断する事が出来、子どもにも「大丈夫!!」と、搬送される前にママさんが子どもを落ち着かせることが出来たかもしれません。

「知っている」と「知らない」の差が大きいなと思いました。

私たちも、想定外の困難が降りかかった時、

助けを呼べる「主を知っている」のと「主を知らない」のでは、大きな差があります。

また、何度も困難を経験し、その度に「主の導きを経験している人」と、困難は経験したけれど、「主の導きを経験していない人」にも差があります。

主の導き、主の助け、主の計画、全てに意味がある・・という経験を繰り返している人は、次の困難に対して、大きく心が奪われにくくなります。

しかし、困難は経験していても、主の導き、助け、全てに主の計画と意味があるという事をスルーし、何となく困難が過ぎ去る・・という経験だけだと、

次の困難に出会った時、ため息、絶望感しか感じる事が出来ないのです。

困難が降りかかった時、誰に頼るべきか知っている・・・これは本当に大切なことです。

女の子が嫌であっても、医師の処置が必要なのです。

ママと離れ、手術室に入り縫ってもらわないと早く癒されないのです。

これは、女の子が拒否しても必要な事柄であり、処置する為に必要な時間なのです。

私たちも同じです。

困難が嫌であっても、主が必要とされている時間・・

この時間を通して、心の傷に働きかける事もされますし、主が教えようとされいていることを学ぶ時間なのです。

主がどのようなお方なのか、

主は本当に自分にも働かれるのか、

主は本当に今も生きておられるのか、

日頃から・・主との交わりを大切にする必要があります。

困難が訪れてから、知らなかった主を知り、主がどういったお方なのか知っていくのは難しいのです。

今から備える必要があるのです。

今日、主との交わりを大切にする事が出来ますように。

困難に備える一日となりますように!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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