群集の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と言った。
すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」
ルカ12:13-14
律法学者やパリサイ人たちが激しい敵対心を持ち、イエスさまを質問攻めにしていました。
そして人がおびただしい群衆となり、足を踏み合うほどになりました。
日頃からイエスさまに対して良くない思いがいっぱいになっており、それをイエスさまにぶつけて論争が行われていたのです。
そのような論争が繰り広げられる中、突然一人の人が話し出したのです。
「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」
躍起になってイエスさまを問い詰めようとしている中、自分の財産の話をしだした人が居てたのです。
おびただしい群衆が押し寄せる中、白熱した質問が飛び交う中・・この人の頭の中には、自分の財産の事で一杯だったのです。
そして空気を読まずに突然、「私の財産問題、解決して!」と言ったのです。
初めてこの個所を読んだ時、
こんな人、本当にいるのかな・・空気読めないという度合いを越している・・・どうしてルカはこんな話まで記録したんだろう・・と思いました。他の福音書には記録はありません。
しかし、よく考えてみると・・・
聖書を読みながら違う事を思い出したり、
礼拝中に違う事を考えていたり、
祈りながらも「あ・・あれしないと・・」と思い出したりします。
自分の事で頭が一杯な人・・この姿は自分の姿でもあると分かりました。
自分の頭の中は、自分の関心事で一杯なのです。
主に捧げる祈りも、自分の問題や、自分の願い、自分に関する祈りなのです。
この人の発言に対してイエスさまは、
「いったいだれが、私をあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」と言われました。
「私はあなたの問題を解決する為に、この世に来たと思っているのですか?」という意味にも取れます。
もちろん、主は私たちの小さな問題や、私たちが大きいと思っている問題も解決して下さいます。
しかしもっと大切な事をされる為に、人の姿をとってこの世に来られたのです。
主の関心は、「私の問題」ではなく「世」です。
もちろん「世」に「私」も含まれています。
そんな事を考えていて気付いた事は・・
私は主にどのような祈りを沢山しているだろう・・
私が主にどの様な時に祈っているのだろう・・
自分が困った時です。
自分が迷った時です。
自分が助けて欲しい時です。
私の口から出る祈りの多くは、自分に対してなのです💦
私は朝、目覚めて、
「主よ。おはようございます。今日、主が私に望まれている事は何ですか?」
「主が私に求めている事を教えて下さい」
「主は私に何を望まれていますか?」と祈った事が・・・ないかもしれません💦
いつも私の祈りの主語は、「私」であり「主」ではないです。
この途轍もなく空気を読めず、自分の財産について話し始めた人・・この姿は自分の姿でもあると分かりました。
今日は自分の祈りについて悔い改めます。
私の祈りの主語が「主」となりますように・・
今日も、主と共に歩む1日をお過ごしください!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」