何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6-7
こんな話を聞いた事があります。
凄く仕事が忙しくなって、追われるように仕事に集中しないといけなくなると、決まって過去に経験した辛い思いがフラッシュバックする・・
受験勉強に向き合えば向き合うほど、過去に人に言われた言葉や傷ついた出来事が思い出され、恐怖や悲しさに襲われる・・
朝起きた時、いつもと変わらない日常をスタートしたのに・・何かがきっかけで急に心が曇り始める事はないですか?
同僚のちょっとした言葉を通し、過去の傷が思い出され、今耳にした言葉以上の苦痛を背負う事・・
ある時突然、恐怖や不安感、過去の罪、心の傷をえぐられる思いなどが、私の心の扉を勝手に開けて、ズカズカと入って来るのです。
どうすれば、このような状況から主に依り頼む事ができるのだろう・・と考えながら思い出しました。
私は教会に導かれる前、私は自分に凄く自信がありませんでした。見た目は明るく元気でしたが、心の中はいつも不安で一杯でした。
仕事で上手くいかなかった時、人に上手く返事が出来なかった時「やっぱり私は何一つできない・・」と必要以上に悲しくなるのです。
1つの失敗を通し、過去に失敗したり上手くできなかった出来事までをも思い出し、それらの悲しみもプラスされ、実際に失敗した以上に苦しむのです。
そして、お決まりのように帰りの電車の中で涙を堪えながら帰るのです。「早く家に帰って母の胸で泣きたい・・」私はいつもこの様に思い、今にも零れ落ちそうな涙を堪えて帰っていました。
実際には私は成人であり、母の胸で泣く事などはしませんでしたが、私にとって母がいる家が何よりも自分の安全地帯だったのだと思います。
しかし、教会に導かれ主を信じ、主を知っていく過程で、何かある度に思い出される「母の胸で泣きたい」という思いが「主の御胸で泣きたい」という思いに変わっていきました。
そして母から主に変わってからは、実際に祈りの中で泣くことが出来たのです。何かある度に、涙を堪えず祈りの中で泣くことを繰り返しました。
そしていつの間にか、主の御胸に抱かれたい、主の中で安らぎと安心を得たい・・という一刻も早く避難したいという思いが減っていきました。
自分には、主という安全地帯があるという事を涙を重ねて経験し、急いで逃げなくても「私には主がいる!」と思い出し、不安感に勝利する事が出来るのです。
そんな事を思い出しながら、また1つの場面を思い出しました。
子どもたちが小さい時、すやすやと寝ているかと思っていたのに、急に大きな声で泣きだす事がありました。
怖い夢を見たのです。
そんな時、決まって夫は自分のお腹の上に子どもを乗せ、トントンと背中を何度か叩くのです。
子どもは直ぐに、安心感に包まれたように再び眠りについていました。
子どもにとっての安全地帯。
怖い夢も、直ぐに忘れさせることが出来る安全地帯があるのです。
自分に安全地帯があるという事を肌で感じ、怖い夢の支配から直ぐに離れる事が出来るのです。
小さな子どもが怖い夢を見て、大きな声で泣き、親の懐に行く事を拒否したらどうでしょうか。
その夢から解放されず、ずっと泣き続け、恐怖感に包まれるのではないでしょうか。
そしてその夢を何度も思い起こしながら、夢の支配下に入ってしまうのです。
その夢を忘れる事ができず持ち続けてしまうのです。
親の懐に行けば、直ぐに怖い夢から解き放たれる事が出来るのです。
私たちも、怖い夢に留まる必要はないのです。怖い夢から一刻も早く解放されるように、主の懐に入るべきなのです。
幼子のように・・
祈りを通し主の懐で涙を流し、抱いてもらえばよいのです。
それを繰り返せば、自分には安全地帯が、平安を取り戻せる場所があるということを、自分の魂が記憶します。
簡単に悲しみの谷まで落ちる事がなくなるのです。
主には絶対的な平安があるのです。
私をかき乱す思いが勝手に私の中に入って来た時、一刻も早く「主よ!!」と主の名を呼ぶのです。
一刻も早く、主の翼の陰に身を寄せるのです。
悲しみに留まらず、直ぐに主を選択してください!
私たちを襲う不安感は、主から私たちを遠ざけようとする力です。自分一人ではそのような力に勝つことは出来ません。
突然襲いにかかって来る不安感、自己否定、自信喪失、アイデンティティの喪失・・
主はそんな私たちの姿を見てどの様に思われるでしょうか。
「それ以上思い煩わないで、早く私の所に来なさい」・・
主を選択し、勝利して下さい!
今日も、主によって勝利する一日となりますように・・・