それは本当に主の祝福だろうか【ダニエル1:8-9】

2023年

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。

神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。

ダニエル1:8-9

今、ダニエルの話を読んでいます。

今日の御言葉に心が留まりました。

ダニエルは素晴らしい預言者です。

ダニエルは王家の血筋に生まれ、第一回バビロン捕囚の際にバビロニアに連れて行かれました。

戦勝国の捕虜になった敗戦国の王家の子ども。

祖国では王家の血筋として生活していたダニエルの環境が急変したのです。

捕虜としての生活を虐げられるのです。

しかし、ダニエルのルックスの良さと、知恵があり思慮深い事に目が留まり、宮廷で仕える者となる為に、選ばれ特別な食事と英才教育を受けるようにと選ばれたのです。

捕虜でありながら、エリートとして生きて行く道が与えられたのです。

ダニエルと同じように敗戦国から選ばれた少年はダニエルを入れて4人。

私なら、最悪な状態の中、思ってもない良いものが与えられ、主の特別な守りの中生きていけるんだと・・「主よ感謝します」・・・と判断しそうです💦

ダニエルの素晴らしい点は、目に見える状況に心を奪われなかったのです。

良い住処、豊かな食べ物、英才教育・・それを受け取れるチャンスが与えられても、どれを受け取りどれを受け取らないかという基準を持っていたのです。

異国に居ながらも「モーセの律法」を守り、それを基準としたのです。

ダニエルたちは、モーセの律法に反する食べ物を拒みました。

「身を汚すまいと心に定め」たのです。

ダニエルたちは、受け取るものと受け取らないものの基準を心に定めたのです。

食事を管理している宦官の長には、ダニエルたちを見守る責任があります。

食事は健康に大きな影響を及ぼします。

しかし、「 神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた」と書かれています。

モーセの律法通り、水と野菜しか食べない事を宦官の長が許可したのです。

ダニエルたちは、まず基準を主に置き、心を定め、行動したのです。

すると、主が働かれたのです。

まず、ダニエルたちは「自分たちの基準を主に定めた」のです。

すると、主は不思議な方法を用いて・・野菜と水しか食べれない環境を与えられる・・・のではなく・・

ダニエルが持つ基準に対して、それを尊重させるように、宦官の長にダニエルを愛しいつくしむ心を与えられたのです。

主は強引に道を切り開かない・・

何となく・・・「主の守り」とは、何もしなくても、主の守りの中に自然と導かれたり、不思議な事が起こり悪から守られるイメージがあります。

しかし主は、それは御心に反することだから・・と、道を塞ぎダニエルを守るのではなく、

食べる事も出来る状況を与え、それでもダニエルが主を選ぶ決心をするならば、

決心した通り生きていけるように手助けをして下さるのです。

主は強引に導かれる方ではないのです。

主は、私たちに委ねられているのです。

何を基準に生きて行くか。

何を選んで生きて行くか。

自由意志を尊重して下さっているのです。

誘惑や、主から私たちを離そうとするものは、祝福のように、善人のような顔をして近寄って来るのです。

誘惑や主を離そうとするものは、「誘惑です」と言った顔をしていないのです。

「良きもの」のような姿で近寄って来るのです。

知らず知らずのうちに、「誘惑」に対して「主の祝福」だと思っている可能性があります。

聖書を基準として、目に写るものに心を奪われないようにする必要があります。

私たちの基準とすべき御言葉を蓄えたいです。

また、ダニエルは祈る人でした。

この世的な表現で言うと、聖書で「成功した人物」は「祈りの時間」を必ず持っています。

イエスさまでさえ、どんなに忙しくても習慣的に群衆から離れ、1人祈る時間を持たれていました。

祈りは「霊的呼吸」。

今日も、霊的呼吸に重きを置き、過ごしたいです。

今日も主を選ぶ一日をお過ごしください!

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