主よ。あなたのすべての正義のみわざによって、どうか御怒りと憤りを、あなたの町エルサレム、あなたの聖なる山からおさめてください。私たちの罪と私たちの先祖たちの悪のために、エルサレムとあなたの民が、私たちを取り囲むすべての者のそしりとなっているからです。
私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いとを聞き入れ、主ご自身のために、御顔の光を、あなたの荒れ果てた聖所に輝かせてください。
私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あんたの大いなるあわれみによるのです。
主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行ってください。私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです。」
ダニエル9:16-19
今、韓国にいます。先週、韓国に来ました。
今回の渡韓の一番の目的は、韓国にいる長男と会い一緒に礼拝することです。
長男は、5月には、国民の義務で行っている軍隊も終わり除隊となるのですが、除隊前に一回は面会に行ってみたいと願っていました。
2番目の目的は、次男と共に韓国の主日礼拝や、平日に行われる賛美礼拝を捧げることです。
実は、韓国に行く2週間ほど前から、「祈りが必要な人がいるなら・・・韓国でとりなしのお祈りしたいな・・」と言う思いが与えられていました。
でも、私が「祈りが必要な方・・」という問いかけもなんか、高慢なような・・おこがましい感じがしてました。
何度かブログの最後に「韓国に行くのでその間、お祈りが必要な方おられますか?」と書こうかと何度も書いては消して・・を繰り返し、結局書かずじまいでした。
「とりなしの祈り」、「祈りますね」と言う言葉。
私は凄く責任を感じます。
「祈ります」と言うのが、挨拶の言葉のように使われてはいけないと思いますし、「祈ります」と言った限り、本当に祈らないといけないからです。
だから簡単に「祈ります」とは言えないのです・・
ですから私はよっぽどのことがない限り・・「今日、1日覚えて祈ります」と言うような言い方をしています。
その方が私の心も責任を感じる負担が少なく、一生懸命集中して一日を過ごし祈れるからです。
私にとって韓国は・・・ 留学して凄く祈る事を学ばされた国・・
主と距離が縮まり、主の臨在を感じ、慰められ、信仰を強められた国・・
もちろん、日本の教会も好きです。
ただ、主が私を誰にも頼る事ができない環境に置かれ、私を孤独の中に置かれ、主の前で泣いて時間を過ごす事を学ばされた場所。
今回の旅行は、単なる韓国旅行ではなく・・祈り霊的にもう一度リフレッシュされ、充電を願い・・祈りに来ています。
祈る心と力を得る為に・・この地で昔を思い出し、祈り心をもう一度、与えてもらおうという目的で来ています。
3月上旬から、「祈りが必要な人・・」という思いが与えられていたのですが。
なかなか書けずにいました。
「主よ。ブログでわざわざ書かないで・・今祈っている人だけを一生懸命祈る時間を持ったらダメですか?」と祈りつつ・・渡韓。
ここで過ごす中でも、ずっと「祈りが必要な人、いるんだってば!」という御声(心の中で言葉が響くような感じ)があり・・・
思い切って書くことにしました💦
「今、とりなしの祈りを必要とされている方」、いらっしゃったらDM下さい。
4/4まで韓国にいます。
その間は、必ず覚え祈りの時間を持ちます。
韓国に来て、改めて思う事は・・
賛美や祈りを積まれている場所。
その空間に入るだけで涙が勝手に流れます。
心が癒されます。
次男も久しぶりの韓国で、以前来た時は小学生。韓国の教会や礼拝はあまり記憶になく・・
今回が初の礼拝と言った感じです。
礼拝を通して、次男も泣きながら、大声で賛美しています。
改めて、日本で生活をしてる私たち・・
自分が住んでいる家も賛美と祈りを積んで、霊的に守られるように。主の守りの中、毎日眠りにつけるように・・整えたいと思いました。
自分の家だけでなく、自分が行く所、自分が歩く道、自分が会う人・・・その時その時、祈っていく重要性・・・
日本の地が癒されるように。悔い改め、主の祝福が降り注がれるように。
祈っていきたい・・!!という思いが与えられています。
短い間となりますが、今、お祈りが必要な方、連絡お待ちしています。
名前を呼んでお祈りしますので、お名前を教えて下さい。
本名でなく、ニックネームや、苗字、下のお名前でも結構です。
例えば、お父さんの救いであるなら、お父さんのお名前もお願いします。「父〇〇さん・・」と祈りますので。
今日も、主の中で豊かな一日をお過ごしください!!