さすがに・・その祈り無理じゃない?④【Ⅰヨハネ5:14-15】

2023年

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

Ⅰヨハネ5:14-15

昨日、凄く久しぶりに、実家近くにある神社に行ってきました。

賛美を聞きながら、神社について主と話しながら一周するのです。(祈る感じです)

まず言葉に出たのは「ああ・・凄く久しぶりに見る光景・・何も変わる事がなく以前のまま存在していますね・・」

「主よ。私はもう一度、この神社について祈りたいと思っています。私が祈り続ける事が出来るでしょうか」

「どの様に祈っていけば良いのでしょうか」

そして、生前母が、私の聖書にカードの様な紙を挟んだのを思い出しました。

この神社の宮司(神社の代表)さん一家の名前を書いた紙・・・宮司さんの兄弟と、その家族の名前まで。

生前、母が兄嫁に親戚の名前を全て聞いていたのです。

「あ~まず、あの紙に書かれている名前を上げて祈ります!」と心で話していました。

私はとりなしの祈りをする時に、名前を大切にしています。かならず、名前を呼びながら祈るようにしています。

そんな事を考えながら、「この神社周りの地域の人々の祈りをしていきたい・・」と思いました。

神社が無くなる事も大切ですが、地域の方々がクリスチャンに変えらのも同じぐらい大切です。

久しぶりに実家近くを歩きながら、忘れていた事を思い出しました!

母と共に神社に対して祈っていた時、外を歩く時は、

「主よ。私の目に写る人たちの心と霊が開かれ、主を知る事が出来ますように」

「また私が歩く地が、主の十字架の血潮によって清められますように。主の土地となりますように」と祈りながら歩いていました。

そうだ・・これも復活させよう。

私の目に写る人たちが主を信じますように。心と霊が開かれ、主の存在を感じる事ができますように・・と祈りつつ「主よ。私、今あの後ろ姿の人もちゃんと見ましたよ!」と・・話しながら歩きました。

この地域、特に神社の周りの家は、神社の宮司さんと同じ苗字の大きな家が沢山あります。

宮司さんは、あちらこちらに土地を持ってると聞いていたので・・

多分、この同じ苗字の家は親戚なんだろうな~と思いつつ。

ふとまた思い出した証がありました。

ハッキリとした数字の記憶がないのですが。

アメリカの教会で実験をしました。

電話帳から無作為に200名選び、2つのグループに分けるのです。

1つのグループは100名で90日間、祈るのです。

もう1つのグループも100名で、祈らず過ごすのです。

そして90日後に、200名に電話をします。〇〇教会だと名乗り「最近の生活はどうですか?悩み事があれば伺って話を聞きます」と言うのです。

祈ったグループの方は60-70%、訪問を望んだそうです。

そして実際に家の中に入りゆっくりと話を出来た人たちもかなりいたそうです。

祈らなかった方のグループは、訪問の希望者は10%ぐらい・・?

家に入ってゆっくり話せた人は殆どいなかったという結果でした。

この話を思い出し「そうだ・・やっぱり祈って準備をするしか前進がない・・」

境内を一周して、主が「私はあなたが、これからどのように私に祈っていくのか楽しみにしてる」と言われたように感じました。

祈りは戦いです。

戦いと言うのは、私が悪と戦うというより自分との戦いだと思っています。

祈っても変化しない日常の中、主を信じずっと祈り続けるのです。日常で自分の生活にも色々な事が起こります。それに流されず、祈りを通して、心を留めないとダメなのです。

必ず、「自分がしている事が無意味なのではないか・・?」という思いが、自分の中に起こってくるのです。

祈っても変化のない日常をどの様に保つか。

どのように自分の思いを持ち続けるか。

・・という戦いだと思っています。

それと、どの様に祈っていくか・・と言うのが大切だと思います。

単に「あの神社がなくなり、教会が建ちますように」というのも良いのですが。

一日の中で、何度もどの様に祈っていくべきか・・黙想しようと思います。

まだまだ「祈り」の前の「準備の祈り」時間を沢山取りたいと思っています。

今日も、主の恵みの中、主の臨在を感じる一日となりますように。

祈って勝利する一日をお過ごしください!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28-29)

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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