すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。
エペソ6:18-19
ワールドカップが終わりました。
オリンピックとか、こういった試合を見る時に、いつもいつも、思う事があります。
私は普段、それほどサッカーに関心がなくても、この様な大会を見ると「あー日本、頑張れ!」「日本、勝って欲しいな~!」「やったー! ゴール決めた!!」と思います。
世界の1/3はキリスト教だと言われています。
多くのクリスチャンが、テレビやネットを通して自国の応援をしています。
そして、それぞれが自国の勝利を願うのです。「神さま、どうか日本が勝ちますように!」「1点、入りますように!!」と祈ります。
この様な祈り、主はどう思われているのでしょうか。
相手国のクリスチャンたちも、自国の勝利を祈っているはずです。
互いが、同じような祈りを、同じような思いで祈っています。しかしワールドカップには「同点」「引き分け」は無いのです。
どちらかが勝利し、どちらかが負けるのです。
いつも「このような祈りってどうなんだろう・・?」と思いつつ、今回も日本の勝利を心で祈っていました。(笑)
答えのないままワールドカップは終わりました。
次の日、知り合いのクリスチャンの方から「祈って欲しい事がある」と連絡がありました。
韓国の方で息子さんが韓国の軍隊に入らないといけない。・・「息子が安全で楽な部署に配置されるように祈って欲しい・・」という内容でした。
韓国の男子は、兵役は国民の義務です。大抵、大学在学中に休学をして兵役に行きます。軍務期間は1年半~2年です。基本的に、訓練は厳しもので、殆どの男子は行きたくないのです。避けて通りたいと思っています。子も親も。
配属される所によっては、1年半の間、殆ど休暇がなく軍隊の中で過ごす事もあるようです。その反対に「結構楽だったと思う」と言われる所もあるようです。
話を聞き電話を切り・・「これもサッカーと似てる」と思いました。
「息子に辛い思いをさせたくない」「苦労させたくない」「安全な所に配置されて欲しい」と誰もが思うと思います。これは親心です。
しかし、もしこの電話をくれた人の息子さんが祈りによって、楽な所に配置になったら、他の誰かは辛い部署に配置になるのです。
誰もが、祈りながら、安全で楽な部署を望むのです。
夫に、このワールドカップと軍隊の話をしました。「どの様に祈るのが良いと思う?」と。
軍隊は、2人の意見は一致で、「楽で安全な所を与えて下さい」と祈るより、「どこに配置されてもその中で適応できる力を与えて下さい」「良き人たちと出会えるように祝福して下さい」と祈るのが良いのでは・・となりました。
サッカーはどうだろう?
サッカー選手は、サッカーが仕事で、夢を持って長い時間、厳しい練習を積んできたはず。だから「勝ちたい!!」と思って勝利を祈るのは、私は違和感を感じません。
サッカー選手の家族も同じです。自分の子どもが夢に向かって、多大なる努力を重ね、親もサポートしてきたのです。夢がかなうよう「勝利」を祈るの事に、私は違和感を感じないのですが。
気になるのは、私のような人です。
普段からサッカーが好きで応援していた訳でもなく、選手についてもよく分かっておらず、何の努力もしていない私が、日本の勝利を望むのは、欲に近い感じがするのです。
夫と、「難しいな・・」と話している所に、次男が学校から帰宅。
次男に、一連の話をしました。「・・・で、サッカーとかだったら、どう祈るのが良いと思う?」と聞いたら、
「全てのクリスチャンは、サッカーの試合が始まる前に、全ての国の選手が夢を持って努力をして集まったんだから、皆が今までの努力を発揮出来るように、怪我無く実力を出せるように祈ってあげればいいと思う。そして、お母さんのような”にわかファン”は、ゲームとしてサッカーを見てるんだから、ゲームとして楽しめばいいと思う。」
夫と顔を見合わせ、「そーかも・・・💦」
なんか長年・・(多分次男が生まれる前から)オリンピックやサッカーの様な競技を見る度に疑問を抱いていたものが、軽くなりました。
私にとって次男は頭を悩ませる子どもです・・反抗期だという事もあるかもしれませんが、小さい時から、育てるのが難しいな・・とため息が出る事が多く手を焼くスタイルです。
夫と話している時に丁度、次男が帰宅したので、私は「ちなみに」聞いてみようと思い、次男に話をしました。
やっぱり私が、次男はこんなもの。これぐらいのもの。いつもそう・・・というようなマイナス的な思いを持って(言葉に出さなかったとしても)見てしまっているな・・💦と反省。
次男の意見が正解かどうかは分かりませんが、
私の長年の何となく心に引っ掛かっていた疑問が、軽くなりました。
世の中には、この様な時どのように祈ればいいのだろう。。と戸惑う事があります。
戦争も大きな問題です。
一つ一つ、立ち止まって祈りながら考えないといけないな・・後回しにしないで・・と思いました。
今日も主に沢山祈り、賛美を捧げる一日となりますように!!