わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。
しかしわが民は、わたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに従わなかった。
それでわたしは、彼らをかたくなな心のままに任せ、自分たちのおもんばかりのままに歩かせた。
ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。
わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。」
詩編81:10-14
イスラエルの王・・・ サウル、ダビデ、ソロモン・・・以降、北と南に分裂しました。
北イスラエルは19人の王。 南ユダは20人の王。
記録によると北イスラエルには、良き王は一人も居ず、南ユダで8名が良き王だと記録されています。
8名の良き王。しかしこの8名の王も初めは良き王として主の御心を行っていても、晩年、主から離れてしまう王が多いようです。
知恵の王として有名なソロモンはどうでしょうか?
ソロモンは神さまに「善悪を判断して主の民をさばく為に聞き分ける心」を求めました。
主はその願いを叶えて下さり「自分のために長寿を求めず、富を求めず、敵の命を求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。」と言われました。
続けて「あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたの後に、あなたのような者も起こらない。」と言われています。
ソロモンは、この世界に存在していた人類、これから存在するであろう人類の中で一番、知恵のある者という事です。
ソロモンの知恵のうわさを聞いた、国の全ての王たちがやって来ました。ソロモン王の知恵に感嘆し、隣国から一目置かれ、平和な関係を保てたのです。
ソロモンは、主に与えられた高い知恵によってイスラエルの最盛期を築き、後にそれは”ソロモンの栄華”と称されました。
しかし、その様なソロモンでさえ、晩年には罪を重ねました。700人の妻と300人の愛人。外交を考慮して外国人の妻が多かったのです。妻たちがソロモンの心を異教の神々のほうへ向けさせ、異教の神に従い悪を行った。二度も主はソロモンに現われ、語られるも、ソロモンの心は主に帰らなかったと記録されています。
結果的には、ソロモンが後の「イスラエル国の分裂」の原因を作ってしまったのです。
初めてソロモンの記録(列王記)を読んだ時、凄く悲しかったです。同時に「ソロモンでさえ、信仰を最後まで守れないなんて・・一体誰が最後まで信仰を守る事ができるんだろう?」と思いました。
どうして、ソロモンは主に帰らなかったのでしょうか? 他の王たちも初めは良き王で、主の御心に叶う王であったと記録されているのに、晩年には背教してしまうのでしょうか?
「かたくなな心」が原因だと思います。
自分がちょっと間違えたことをしたと思っても、叱られると、一層かたくなになってしまったりします。
神さまの声を聞いていながら、無視し続けていると、どうなるでしょうか?
だんだんと神さまの声が聞こえなくなってくるのです。
最初のうちは、心に引っ掛かるものがあり、従おうか、どうしようかと迷ったりもします。
しかし、素早く決断せず(主のもとに帰ろうという決断)無視し続けていると、その後、心の引っ掛かりも気にならなくなり、うしろめたさもなくなってきます。
そして神さまの御声も全く聞こえなくなってしまいます。
こうして、人間は、悔い改めるチャンスを失うのです。
こんな話を聞いた事はないですか?
初めて万引きをする時は、すごくドキドキして「バレたらどうしよう」と思いながら万引きし、帰ってから後悔もするものの、万引きを繰り返すうちに、ドキドキもしなくなり、「常習犯」となるのです。万引きが日常の一部であり、後ろめたさがなくなるのです。
これと似ているような気がします。段々と罪意識を感じなくなるように、主の声が聞こえなくなるのです。
罪意識がない状態で、万引きを辞めれるでしょうか? 辞めるきっかけがありません。 反対に、万引きできないと、日常が上手く回らなくなる生活になるのです。
どうしたらいいのでしょうか?
自分が歩んでいる道が、自分が選択したものが、自分の考えが、主が喜ばれているものではないと心に感じたら、すぐそのタイミングで辞めることです!
歩んでいる道を改め、選択を放棄し、考えを正す・・・
迷わずに、思い切って決断するのが大切だと思います。
色々考えると、手放したくなるのが人間の習性の様な気がします。
私たち人間は、失敗を何度も繰り返します。
あの旧約の時代と同じ、罪人の習性を変わらず持っているのです。
心がかたくなにならないように、素直に主に従えるようになりたいです。
今日の御言葉、
主は「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」と言って下さる主です。
私たちに、満たす道を準備して下さる主なのです。
主は、私たちを沢山沢山満たしたいと思って下さっています。
今日も、主を選択しましょう!
お祈りしています!