他者と違う自分を認め、自分と違う他者を認める【Ⅰコリント12:27-31】

2022年

 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。

みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行う者でしょうか。

みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。

あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。

Ⅰコリント12:27-31

教会には、色んな方がいます。信仰歴も違い、信仰の成熟差も人それぞれです。

小さな段差や障害物につまずかない信仰を持っている方は素晴らしいです。

また世の中の流れに流されない信仰を持つ方。人を思いやる信仰。愛が溢れた信仰。

良いものと良くないものを判断できる信仰。大きく存在感はなくても精一杯与えられたものの実を結ぶ信仰。

何があってもどっしりと構えれる信仰。目立った事は出来なくても誠実に日々教会の為に祈る信仰。

奉仕に励む信仰。苦難に耐える信仰を持っておられる方もいます。

傷がまだ癒えなくて必死に癒しを求めている信仰の方も。

色々な信仰を持ったものが集まり、教会は建て上げられ、健やかで強くなるのです。

自分はどの部分の器官で、どの様な働きを与えられているのだろう?

自分に与えられた賜物はなんだろう・・

自分は、どうすれば一つの器官として、健康的な活動ができるんだろう・・・

一つ一つの器官は働きも役割も違いますし、ライバルではなく一つの体に属するものです。

自分の器官だけが健康で活発な働きをすればいいのではないです。

一つの体に属するのですから「調和」が大切です。互いに労わりや思いやりが大切なんです。

自分とは違う器官を見て、評価するのはおかしいのです。

主が望まれているのは、他者と違う自分を認め、自分と違う他者を認めていくのです。

異なった器官が集まり、建てられた教会で大切な事は「愛」です。

大きな働きをする信仰があったとしても、ずば抜けた知識があったとしても、

愛がない賜物や知識や信仰は、教会に害をもたらすことがあります。

主との交わりを通して、まず自分が、主から愛をたっぷり貰ってください。

愛に満たされたことがないと、愛を分け与えるのは難しい事です。

愛は、私たちの世界で「潤滑油」のような働きをするのです。

一つの器官としての役割を果たす為、しなやかで健康な教会の一部となる為にも。

今日も主の中で、主の愛に満たされましょう!

良き日となりますように!!

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