あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
第2コリント8:9
主は富んでおられたのに、私たちの為に貧しくなられ、
その貧しさのゆえに私たちが富む者となった。
主はどの様に貧しくなられたのだろうか・・・
人間の姿でこの世に生まれたこと。 神の栄光を脱ぎ捨てただけでなく、
暖かな衛生的な部屋で誕生したのではなく、寒く隙間風が吹き寄せる馬小屋。
飼い葉おけで藁に包まれ誕生した。
全能なる神の子が、無力で自分では何もできない赤子の姿でこの世界に来られた。
キリストのこのように小さい者として生まれて下さることにより
私たちは自分の罪を許され、天国への道が開かれた。
私たちの努力や善行で天国へ行くのではなく、
主の方から天国への道を示し天国の扉を開いてくださっている。
私たちはクリスマスを迎える際に、「主は私の為に貧しくなられた」という事を
思い出そう。まさしく命を懸けて、みじめな姿になられたイエス様。
本来ならば栄光を受ける方がどの様に亡くなられたか。
「人間は生きていたように死んでいく」という言葉があります。
死に際に自分の人生が映し出されるという意味です。
イエス様の死に際・・・嘲笑され唾を吐きかけられるイエス様。
一番酷い十字架刑で亡くなられたのです。
これが本当に「生きていたように死んで行かれた」のであるなら、
イエス様の33年という時間が、どの様な人生だったか少しは感じれるのではないでしょうか?
時々、忙しさから離れ、主の人生を黙想して見て下さい。
主の深い愛に包まれるはずです。